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  本来の意味

2002/07



 五月の中旬、テレビ局の役員の方から身内の者のご回向を勤めて貰いたい、とメールが届きました。
 私より二十才以上も年上のその方は、長兄が亡くなられ、喪主として葬儀を執り行い、分からないことばかりで、大変な苦労をしたようでした。ついては、お兄さまの四十九日の忌日回向を、住職になった長松君に是非やってもらいたいということでした。
 私はその方と特別に親しかった訳ではありませんでしたが、何か思うところがあるのだろうと考え、熟慮の上でお返事を致しました。
 まず、本門佛立宗では通常信徒以外の方のご回向を行わないこと。どこかの霊媒師のようにお坊さんだけが訳の分からない経文を唱え、法要をしても余り意味がないということ。ご家族の気持ちが大事であること。第一に御題目の御本尊が奉安されていない場所でご回向することは出来ないということ等を伝えました。
 こと細かく本門佛立宗の流儀を説明することはしませんでしたが、佛立宗のお塔婆を建立させて貰い、親族一同でしっかりとご回向するということで、六月十五日の土曜、長松寺の御会式の前日に千葉県の海に面した綺麗な霊園でご回向を奉修させて頂きました。
 昨晩まで降り続いた雨も上がり、青空の下で志の篤い、清々しいご回向となりました。
 商社出身の方ですから、何でも出来る方だとお見受けしていたのですが、法事や信仰の行事などは慣れていない様子で、随分と戸惑っておられました。
 お布施のご挨拶、そしてご親族の方々とテーブルを囲んで御供養を頂戴いたしました。
 座が和むと、その方から面白いお話がたくさん飛び出しました。きっと、友人ということで遠慮の無い話をして下さり、普段は言えないような疑問も投げかけてくれたのだと思います。
 その方は、笑いながら、
「今回、はじめて喪主として葬式を勤めたが、とにかく参った」
と切り出されました。
「何がですか」
と問いかけると、
「まず、葬儀屋に電話をした。葬儀屋に電話をしたが、僕は自分の宗派が分からなかった。確か本山が京都の妙心寺らしいから曹洞宗じゃないかという具合で。しかし、菩提寺は田舎だから、葬儀屋さんの契約しているお寺をその系列で紹介してくれって頼んだんです」
「えっ。契約って何です。系列っていうと宗派ってことですか」
「そうです。あれ、契約って言わないかな。取引先っていうんですかね。葬儀屋さんと手を組んでいるお寺のことです。系列っていうのは、僕の宗派のその地域にある支店みたいなもののことです」
 唖然としましたが、随行の清優師と顔を見合わせながら、楽しくて仕方がありませんでした。世間の人の生の声が聞けるのです。
「いや、戒名についてもですね。交渉をしたんですよ。取引先と」
「取引先って?」
「あぁ、住職のことです」
「住職と何を交渉したんです?」
「戒名ですよ。交渉して良い戒名を安く貰えるようにしたんです」
 またまた愕然としました。
「なるほど。世間では戒名は交渉して貰うものなんですね。佛立宗は全く違います。本来生きている間に御仏にお願いして頂くもの。基本的には生前の信仰心や行いを表すものであると教えられます」
「でも、戒名にも相場があるんですよ。分かりますか?」
「相場?何の相場です?戒名の?全く分からない」
「やっぱりね。田舎だと安いんですよ、戒名も。土地の値段に比例して高くなってくる。東京・横浜、鎌倉なんて土地が高いじゃないですか。そういう所は戒名も葬式代も高くなるらしいです」
「はじめて聞きました」
と私は答えました。考えてもいないようなことが現実にあるんだと思いました。
「そうですか。しかし、葬式っていうのは先が読めませんね。予算を決めて、この範囲内でやろうと思っても出来ないんです。次から次にオプションが用意されていて、勧められるままに選ばされてしまうんですよね。パッケージなどで上手にセットで決めることが出来ない。上手く出来てる。やっぱり、そういう時だと安いものは選べないでしょう。死んだ人間に良いものを選んであげようという気持ちがある。そういう人間の気持ちに付け入るんだなぁ」
「何か聞いていると嫌な話ですね。でも、言い方が面白い。バリバリの商社マンだから言葉が現代的で。取引先、契約、交渉、セット料金、パッケージ、戒名の相場。本当に勉強になります」
「いまの宗教法人法もいけない。悪い坊さんばかりを出す。漫画で今も連載してますが、名義貸しで儲ける住職。いやぁ、あの漫画は面白いなぁ」
等という話を聞きながら、それら一つ一つを取り上げて、佛立宗で教えられていること、正しい仏教の姿は違うということ、私なりに考えていることをお話ししました。
 通俗的な「宗教」「お坊さん」、行事を行う団体としての「宗教」、宗教法人法上の「宗教」、社会のシステムの中で「葬儀」「法事」というパートを担う「仏教」という現実的な考え方や捉え方をされていた方々に、「戒名というものの本来の意味」「葬儀という本来の意味」「回向という本来の意味」「住職」「在家」「出家」「菩薩」というものの本来の意味を面白おかしくお話させてもらうことが出来ました。
 その方も、親族の方も、初めてそういう話を聞いたようで、今度横浜のお寺に来させて貰いたいと言ってくださいました。
 何も難しいことを話している訳でもなく、現代に生きる人たちが忘れてしまっている「本来の意味」を、何度でもいいから話し、伝えていく必要があると痛感したのであります。
 「宗教」の本来の意味が、宇宙の中で生きる人間の生命と魂を導くためのものであるとするならば、絶対的な一人の神による教えではなく、一切の因縁、宇宙の法則を説かれた「仏教」こそが宗教本来の意味に適うと確信しています。
 また、そうした宇宙法界の因果因縁を正しく伝え、御仏の教えの「本来の意味」を伝えているのは、本門佛立宗だけであると私は確信しています。ここに挙げたお葬式の話だけではなく、お寺というものについて、僧侶、信者について、生き方そのものについても、御仏の教えを正しく継承し、伝えていると確信するのです。
 如何に尊い御仏の教えであろうと、形骸化し形式だけを重んじているだけでは本来の意味を失い、既成仏教と呼ばれてゆきます。
 また、新興宗教のように教えの断片をつなぎ合わせて本来の意味に近づけようとしても、宗教的なシステムは作れるかもしれませんが、本尊を作ることは出来ません。
 本門八品所顕上行所伝本因下種の御題目、正法を頂く本門佛立宗だからこそ、未来に向けても本来の意味を見失うことなく、正しく継承してゆかなければなりません。
 私たちが運営する本門佛立宗のホームページでは、「真実の仏教」という紹介文を掲載しています。
 「真実の」とは既成仏教でもなく、新興宗教でもなく、御仏が説いた教えの「本来の意味」を最も大切に継承してきた本門佛立宗の純粋性と正当性を指しています。
 立教開宗七五〇年の総修法要に参詣し、平成十八年にお迎えする開講一五〇年を思う時、佛立だけが持つ「誇り」を教講が再認識し、信念と確信をもって「生きる」という本来の意味を一人でも多くの人に伝えてゆければと願うのです。


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