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  幸せであるように

2002/01



 良い人生を送ろう、幸福でありたい、健康でありたい、と誰もが願い、望んで生きております。
 自分自身は勿論、妻や夫、家族や親族までが幸せに恵まれ、円満にコミュニケーションを取り合い、生活することが出来れば、何より素晴らしいことです。
 しかし、そのような幸せを手にすることは簡単ではありません。
 人間には、動物としての「定め」があり、誰もが老い、そして病にも遭い、いつかは一人きりで死を迎えなければなりません。
 また、完全な自給自足の生活で無い限り、劇的に変化する社会の荒波の中で、複雑な人間関係にも接しつつ仕事をし、働かなければ生活することが出来ません。
 当然、そのような社会ですから、家庭の中でお互いの役割を自覚し、尊重し合えなければ幸福な家庭を築くことも叶わないのです。
 さらに、私たちの住む国の経済システムや政治そのもの、国家間の軋轢や民族間の歴史などが複雑に交差しながら変化を繰り返し、常に私たちの生活に影響を与えて止まることもありません。
 このように考えると、私たちの求める幸せな生活とは、常に揺れ動いており、非常に不安定な中に存在しているのであります。
 特に、人間には非常に強い欲望があり、そこから生まれる嫉妬や憎しみがあり、優秀な智恵も怒りに任せれば容易に人を傷つけられますから、幸せを求めていながら自ら幸せを遠ざけている人が多く存在するのであります。
 幸福を追い求める人々が溢れる世の中にあって、どのようなものが幸せであるか、どのようなものが不幸であるのか、幸福とはどのようにしたら得られるのかを知り、教えられているのが御仏の教えであり、本門佛立宗の信仰であると確信しております。
 父親にとって、母親にとって、祖父母にとって、子供にとって、夫婦にとって、その親子にとって、御仏の教えは規範となり、支えとなり、糧となるはずであります。
 社会で働く人にとって、家庭を守る人にとって、政治家にとって、芸術家の人々にとって、本門佛立の教えは哲学や機知に富み、感性豊かな多くのヒントに溢れているのであります。
 様々な病気に苦しむ人にとって、経済苦に喘ぐ多くの人々にとって、精神的な抑圧や倒錯、そして挫折、孤独と対峙している人々にとって、本門の御題目は灯火となり、杖となり、大いなる力となって現証の御利益を顕わし、苦しみの深淵から誘って下さるに違いありません。
 幸福とは何かを知ることもなく、際限のない欲望を満たそうと幸福を求めながら苦労を重ねるのみの人や、自分が幸福になろうと争いを繰り返す人々、都合いい時だけ神仏に祈りを捧げ商売繁盛や交通安全の御守を買い、ダルマを買い、破魔矢を買い、祭りで踊り、自己開発・啓蒙セミナーに通い、病院に通い、心の透き間を身体で埋めようと「性の幸福」を追い求め、多くの人々がこの上なく大切な、かけがえのない人生の時間を無為に過ごしていると教えて頂くのが「末法」であります。
 全ての人が、一刻も早く御仏の教えに触れ、自らの人生を改めて見つめ、真に豊かな人生への道標を手にすることが出来るように、あらゆる人と接し、信仰の尊さを伝える努力を惜しんではいけないと再認識する必要があります。
 師走も押し迫った十二月十八日、友人から「お前に会いたいという人がいる」と云われ、外資系企業に勤める方と面談しました。
 東京の恵比寿ガーデンプレイスで、クリスマスの電飾に囲まれたパパスという喫茶店に現れた彼は、バリッとしたスーツを着た紳士で、私よりも五才は年上、身長も高く、誠実で優しそうな人物でした
 彼は「能力開発」のセミナーで私の友人と知り合いになったということでした。
 私は、友人が十八万円も支払い「営業成績を上げる開発セミナー」「決断・選択力を高めるセミナー」に行くと聞いた夜に、長い時間をかけて話をしました。
 私には、なぜ教材が溢れている毎日の生活の中で、わざわざ高いお金を支払ってまで「自己開発」のセミナーに行くのか理解できませんでした。
 友人ですから屈託もなく、冗談や厳しい言葉を交えながら、自分の廻りで起こる出来事、仕事場や職場での人間関係、夫婦関係の中で何かを感じ取り、向上出来得る心が無いからわざわざそのような場所にいかなければならないのだ、十八万円もあれば家族を連れて旅行にでも行けばいいではないか、というような話をしました。
 友人には幼い子供が二人おり、新居を購入したばかりで転職し、様々なプレッシャーの中で自分を見失ったから再発見したいのだ、これだけは行きたいのだと言っていました。
 セミナーが終わり、友人に成果を尋ねてみても、これという返答はありません。
 そして、突然紹介したいと言われて会うことになったのが外資系企業に勤める彼だったのです。
 彼らは、開口一番「セミナーの時に聞いた講義の内容が全くお前の言っていることと同じだった」「どういうことなのか知りたい」と言い、紹介された彼は私の友人からその話を聞いて、是非理由を聞かせてくれということでした。
 私は、彼に話をしている考え方は、私個人の意見ではない、私は御仏の教えに沿ってビジネスの上ではどうであるかを考え、職場ではどうあるべきかを考え、家庭ではどうあるべきかを考え、忍耐についても、決断についても、全て私たちの信仰の中で教えて頂いていることなのです、と話しました。
 彼は、仕事で成功したい、裕福になりたい、決断力を養いたい、家族を守りたい、と次々に言っておりましたので、私の話がどこまで彼の耳に届き、どのように受け取ってくれたかは分かりません。
 開導聖人の御指南には、
「迷へる故に心自在ならず。くくられたるが如く繋がれたるが如し。それが為に遠きにゆかれず、夜のめも寝られず。日月は明らかなれども、迷へる人の心は暗し。大地は堅固なれども、心の闇には人のふみかぶる穴あり」
とお示しであります。
 遠回りをして多くの時間やお金を使うよりも、信仰を奮い起こし、御法門に耳を傾けて、真に豊かな、幸福な人生を歩むことが大事であります。
 自ら抱える「迷い」や「苦しみ」はごまかして離れられるものではありません。
 私は決して友人や友人から紹介された彼を蔑む訳ではありませんが、本門の信仰に一歩でも近づくことができれば、と考えています。
 自分自身も自分の周りの人にも、真に幸福な人生を歩むために御仏の正しい教えが不可欠であると心に刻んで本年の指針と致します。
 別の御指南に(口語訳)、
「豆がらで豆を煮る。これは自業自得の姿であろう。ダニは犬の身から生まれて犬の身を責める。人間の迷いも我が心から起って我が身を苦しめる。その姿は、此経を謗るが故に休息あることなし、とあるが如く、昼夜止むことがない。しかし、現在苦しみ迷う人間の力でどうしてこの苦を征服することが出来得よう。金がなければない苦しみがあり、持てる者は又持てる者の苦がある。菩薩にも苦ありと云うが、それは衆生の苦を憐れむ慈悲から起こる苦であり、日本国すべての人々の苦しみは日蓮一人の苦しみだと仰せられた苦である。高祖は、これを助けんものと、いかなる苦悩をもいやす妙法蓮華経を人々に唱えせしめて本因本果の大功徳をゆずり与えようとせられた。苦を征服する道は実にこれしかないのである」


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