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  終わりに臨む姿に

2004/09



 愛する人を失うと心が空っぽになります。生きて別れることさえ哀しいのに、それが「死」という別離であれば、その悲しみは比べようもなく大きなものです。もう一度逢いたい、声が聞けたなら、話が出来たなら、という叶わない想いが、譬えようのない虚しさで胸をいっぱいにさせます。

「この世は無常である」と教えていただいていても、いざ大切な人との別れを迎えた時、心の整理は簡単につきません。いつの妙深寺のご奉公でも、当たり前のようにいてくれた白川邦輝さんとの別れは、幼い頃からまるで一つの家族のように親しくさせていただいていたからこそ、哀しみと虚しさが一緒になって心の整理がなかなか付かないでいます。

白川邦輝氏は、本年七月十九日開導会のご奉公終了を待つように、享年六十七才をもって帰寂されました。誰もが惜しむ別れでした。

「なぜだろう」「あれだけご奉公された方が、なぜ病気に」「まだお若いのに」と、惜別(せきべつ)の悲しみから疑問が湧いて当たり前の所ですが、白川さんの臨終に向かわれた姿は、そのことが愚問であることを教えて下さっていたと思います。先住ご遷化の時と同じように、私たちがお手本にすべき尊い姿であったことをお伝えさせていただかなければならないと思いました。

 検査の結果、進行性の癌であることを告げられた一月、私たちもご本人やご家族同様、大変な衝撃を受けました。妙深寺の副局長、宗会議員のご奉公も無理をお願いして受けていただいていた大切な方の突然の病。食道癌で、早急な対応が必要との診断でした。

 このような時、私は自分の父の闘病を思い起こします。当人も、家族にとっても、全く青天の霹靂(へきれき)のような、愕然とするような癌の宣告。情け容赦もありません。

 私たち家族の場合は、常に医師からの診断結果は、父や母を外し、姉弟で聞いていました。主治医の話を冷静に聞いているつもりでも、知らず知らずの内に頬をツーっと涙が流れていきました。あまりの残酷さに、夢ではないかと何度も思い返す程でした。その時、常に私たち家族を支えて下さったのは皆さまの「お助行」でした。

 白川氏の突然の病に、所属する戸塚教区の教区長である平石京子さんが率先提唱して、寒参詣から連日お助行が始まりました。その輪は戸塚教区から全教区に広がり、すでに病状は極めて深刻な診断をされる中、決して希望を捨てず、とにかく御法さまにお縋りさせていただきました。

 平石教区長は、誰にも真似できないような菩薩行をしてくださいました。「病の方が一人でもいる家庭は、家族全員が病気だと思いなさい」という言葉があり、自分の家族を思い起こせば本当にその通りだと分かりますが、平石さんは、悩んだり弱ったりするご家族の支えとなれるよう、お宅や病室に通われ、お寺からお供水を運び続けてくださいました。

 平石さんのご奉公は、徹底したご信心で、怯(ひる)むことはありませんでした。「誤解されたら困ります。単に病気が治る、治らないということではありません。今の時点でもう御利益は顕れています。皆で信心の改良をさせて頂きたい」とお話しされていました。

 極めて術後が悪いとされる食道癌の手術。白川さんは、お見舞いした者が驚くほど、平静で穏やかでした。入院している周りの方が次々に亡くなっていくということを残念そうに語られ、その病棟の中で、お供水やご信心を勧めているとお話しくださいました。 

 術後、すでに「あと三ヶ月」と宣告されたと冷静に私に告げられ、「不思議と死の恐怖はありません。ただ、死を前に迷惑をかける状態になると思うので、それが心配」と朝参詣の後の本堂で、穏やかに語られた白川さん。ホスピスの話もされました。「迷惑をかけた妻と、これからゆっくり旅行に行きたかった」という言葉が胸に突き刺さり、私は言葉を失いました。

 朝の本堂で、首の上に浮き出た腫瘍を触らせて下さり、御題目をお唱えしたこと。お助行の御題目の中で、感謝しながら過ごされる白川氏に、どれだけ多くのことを教えていただいたか分かりません。

開導聖人の御教歌に、
「しなぬ人 一人(いちにん)もなし 心得よ  臨終の事 大事也けり」
「もうけふ(今日)か あすかと 思ふ臨終の  のびる日数(ひかず)も 法(のり)の奉公」
とございます。人間の一生には、必ず終わりが訪れ、多くの場合、その「死」は最初は三人称「彼が・彼女が」から始まり、次に二人称で、大切な「あなたが」と続き、最後には一人称「私が」《死》を迎えるという順番になります。「臨終」とは「終わりに臨(のぞ)む」という意味で、人間が最期をいかに迎えられるかという姿そのものを指すのだと思います。その意味をよく知り、真実の仏教徒らしく、きっと正しく迎えよう、と終わりを忘れずに時々刻々生きることが大事なのだと教えられています。

 如説修行抄(にょせつしゅぎょうしょう)にてお祖師さまは、「昨日は人の上、今日は身の上」「霜露(そうろ)の命の日影(ひかげ:太陽の光のこと)を待つばかりぞかし」ともお諭しです。

 病室に伺うと、ちょうど七夕の前で、短冊が配られていました。お話の中で御教歌をお伝えすると「短冊に書いてください」ということで、私の下手くそな字で、
「わが病 惜しや欲しやの 苦みも  法(のり)の教へに いへにける哉(かな)」
とお書きしました。病床の中でも、惜しい、欲しい、と思う気持ちが、御法さまの教えによって不思議と癒えていく、癒されていくという御教歌。慈悲に満ちた御教歌です。

 先住と同様に、最後まで痛みは無く、身体は痩せられましたが、意識もはっきりしておられました。若い頃の話も七月の帰寂直前までおもしろ可笑しくお聞きしました。お助行の人の話に及ぶと、いつも涙され、「この世に生まれてきて最高の喜びだ」と言われ、「私は病気は罪障だと思っている。罪障を消滅する」と言われた白川さん。その姿に難しい話など必要なく、ただただ私は白川さんの足を揉ませていただくだけでした。

 ご家族一人一人に言葉を遺され、安らかに帰寂されたと聞きました。白川さんから、人間は何年生きたかではなく、どう生き、どう死を迎えたかに尽きるとお教え頂いたと思っております。真にお手本となる貴重な「生」であられました。

「生き恥かいても死に恥かくな」と先住は口癖のように仰っておりました。ただただ敬服する限りの、誤魔化しのきかない臨終の姿。


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