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  宇宙からの贈り物

2005/1



 数千年前から、人は月に憧れを抱いてきました。真っ暗な夜空に輝き、様々な形に姿を変える月は、意識する必要もない程大きな存在の太陽より魅惑的だったのです。

 ある時は鏡のように、ある時はか細い女性のように、ある時には暖かい母のように、月は人を魅了してきました。約六千年前、チグリス・ユーフラテス川の下流域に住んだシュメール人は29.5日を周期として月が姿を変えることを知り、時間の尺度にしました。

 ローマ人は、月のはじめの日を「月を呼んだ日(カレンダエ)」と呼び、この真っ暗な新月の夜空を見上げた時のローマ人の表現が、英語の「カレンダー」という語源となりました。

 日本人は、十六夜月(いざよいづき)、立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、臥待月(ふしまちづき)、宵待月(よいまちづき)と、素敵な呼び方をつけて、天空に浮かぶ月に魅惑的な世界があり、そこに天女が住むと空想していました。

 シュメール人はアッカド帝国に滅ぼされ、アッカド帝国はバビロニア帝国のカルデア人に滅ぼされました。カルデア人は遊牧民で、夜になると星の動きを読み、季節の変化にともなって星が移動することを知り、活用しはじめました。そして、多くの星が規則的に変化しているにもかかわらず、五つの星だけ他の星よりも一段と輝き、何より全体の秩序から外れていることに気づきました。カルデアの人は「行く先に迷っている星」、「惑える星」「プラネット=惑星」と呼んだのです。それが、水星、金星、火星、木星、土星でした。

 カルデア人は、この五つの惑星に神様が住んでいると考え、太陽と月を付加した七つの星に、人が生まれてから死ぬまでの一切と、地震や洪水や飢饉(ききん)という自然現象の全てが支配されていると信じるようになりました。これが星占い、占星術の起源です。

 多くの人が夢中になる星占い。昨年も細木数子姉が人々の注目を集めました。惑星物理学が大好きな私には何の興味もありませんが、それこそ迷信に翻弄(ほんろう)されている人の多さに、悲しくなるばかりです。

 この惑星による運命論を、根底から突き崩したのは、約450年前のニコラス・コペルニクスです。この聖職者にして政治家、医師にして詩人でもあった数理天文学者は、地球が宇宙の中心で制止しているのではなく、太陽の周りを回る惑星の一つに過ぎないということを明らかにしました。地球自身がプラネットだったというのです。1543年のことです。

 七つの惑星が地上の人や出来事に影響を与えているという考えは、地球がその惑星と別の存在、宇宙の中心にあればこそ、それなりに理に適っていたのですが、コペルニクスは地球も大きな体系の中の一つの惑星だと明言したのです。

 カルデア人から三千年もの間、人類はそのことを知らずに惑星や星座の動きにあらぬ不安や期待を抱いてきました。太陽や月の存在が人類の父や母であること以外は、迷信の枠を出ないということです。

 最も近い月ですら、1969年まで表面の模様は謎のままでした。哲学者カントは火山説の主唱者で、アポロ11号の月着陸まで、クレーターの存在や大地の模様について、その謎は解かれないままでした。

 夢の無い話ばかりをするつもりはありません。このような最新の宇宙科学に匹敵する教理が御仏(みほとけ)の説く真実の仏教と完全に合致すると考えられるのです。

 十方の宇宙に広がる過去・現在・未来の世界を説かれた仏教の宇宙観は、古代インドの散漫な思想などではありません。人間は何故、何のために存在しているのか。宇宙こそどのような存在なのか。それを克明に、詳細に覚知(かくち)され、人間のあるべき生き方を示されたのが御仏です。

「宇宙は、宇宙を知り、理解してくれるヒトを求めていた」と先端科学の分野で「人間原理」が注目されています。この惑星に生命が誕生し、進化を遂げても、人類が真に宇宙の存在を見出せなければ宇宙を誰が認知できるのだろうか、という最大の科学的テーマです。

 N=Ns×fp×ne×fl×fi×fc×L/G

 天の川銀河に人類のような高度技術文明を持つ生命が存在するかどうかという問題を考える時に、必ず出てくる「ドレイクの方程式」が前述の数式です。

 この銀河系に存在する高等文明の数を「N」とすると「Ns」は、銀河系に存在する恒星の数。「fp」は、その恒星が惑星系をもつ確率。「ne」は、そのなかで生命が生存可能な環境をもつ惑星の数。「fl」は、そこに生命が発生する確率。「fi」は、その生命が知的生命体に進化する確率。「fc」は、その生命体が他の星に対して通信をおこなえる確率。「L」は、その高等文明の継続時間。「G」は 恒星の寿命。

 数式一つ一つに数字を当てはめ、科学的に推定を加えたものでは、今現在の時点で人類と同じような高等技術文明を持つ知的生命体が存在する可能性のある星は約1000個。議論の余地はありますが、これは十分あり得る数字だというのです。

 この数式で最も重要なのは「L」。ある学者は皮肉にも、高度な技術を持つようになり、宇宙の存在を知り、理解するようになった文明の継続時間を100年としています。智慧を発達させると同時に人類は愚かさから自滅するというのです。

 1000個の恒星までの平均距離は、およそ100光年。文明の継続時間がもし100年だとすると、地球圏外の生命と交信することは極めて困難ということになります。

 宇宙に意志があり、宇宙が人類を求めていたとするならば、御仏は宇宙の意志を知り、宇宙の意志を体現された方でしょう。想像を絶する宇宙の大きさと時間の流れの中で、過去の人類、現在や未来の人類を説かれるスケールに驚愕(ぎょうがく)せずにいられませんし、仏教とは宇宙の中で生を受けた人間の最も人間らしい生き方を教えてくださるものだと確信しています。

 昨年、ギャラップ社の調査では、米国の45%の人が「人類は約一万年前に神により創造された」と答えています。創世記や占星術に迷っていては、高度な技術文明を持つ人類も数百年も経ずに自滅してしまうかもしれません。

 今年も天災や人災が相次ぐのでしょうか。私たちが本音と建て前の口先信心であれば、破滅の予兆の中で苦しむことになるでしょう。しかし、宇宙からの最上の贈り物、真実の仏教、御題目口唱のご信心を私たちこそ頂いているのです。私も家族も、必ずご守護いただく菩薩の一年。菩薩の誓いで一年をスタートいたしましょう。



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