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  人を怨(あだ)むことなかれ

2006/10



 小学校の卒業文集に、
「ぼくは将来お坊さんになって、世界中の人を救う」
と書いた。同じクラスには宗派の異なるお寺の息子がいて、私よりずっと優秀だったが、彼は「将来お金持ちになる」と書いていた。少年の頃の夢が「お坊さん」とは気恥ずかしい気もするが、世界に眼を向けていたとはちょっとした自慢である。

 十二才の頃だから、記憶は定かではないが、どうしてそんなことを書いたのだろう。想像するに、父や母の姿、兄弟子方からの教え、お寺に集うご信者さんを見ていて、自然とそう思えたに違いない。

 特に、母は躊躇(ちゅうちょ)する父を宥(なだ)めて、十一才の私をブラジルに行かせた。法深寺の清水ご住職がブラジルに赴任されていたからで、二十二才の博子さんに子守りをお願いして地球を半周、今から考えると少し危険な二人旅であったろう。

「変わった母親だな」と父は母に呆れて言ったという。博子さんと二人きりでハワイとロスを経由し、ブラジルでは約二ヶ月滞在させていただいた。

 泉洋師にブラジル各地のお寺へ連れて行っていただき、ご信心の輪が世界中に広がっていることを子供ながらに実感したのだと思う。ブラジルの少年たちとサッカーをして遊んだ。外国の大きな木など、車窓から見た異国の風景が強烈に脳裏に残っている。少年だった私にとって、圧倒的な体験だった。

 この旅で、ちょうどハワイ別院に赴任中の福岡御導師にはじめてお会いできた。いまはイタリアに嫁されてご奉公されている御導師の息女、麻樹ちゃんと会ったのも、ブラジルで現在大活躍されているコレイア師との出会いもその時であり、何とも不思議な御縁だった。

 こうしたことが重なって、卒業文集の言葉が浮かんだのだと思う。

 私は、二度も先住に助けていただいた。少年の頃の夢を抱いて、得度をさせていただいたものの、本山から帰ってきた当時の私は、頭でっかちで、ゴタゴタに辟易(へきえき)し謙虚(けんきょ)なご信心前も無かった。そのままの住職の息子など、ご信者方にとっては良い迷惑でしかない。だが、帰山から僅(わず)か一週間後に、先住は目の前で瀕死(ひんし)の重傷を負われた。その時、はじめて一信者になれたと思う。まさに絶体絶命の、お縋(すが)りするしかない御看経の中で、現証の御利益を見せていただけたことが、私にとって何よりの救いだった。下らない坊主になるところを、先住に助けていただいた。

 社会勉強といってお寺から離れていた私を、進むべき道へ戻してくださったのも先住だった。十二才の頃に描いた夢から遠く離れて、あやうくエゴと欲だけにまみれた人生に陥るところだった。これも先住に助けていただいたと思う。思い出話に終始しても仕方ない。とにかく、こうした経緯があって、私は妙深寺や海外でご奉公させていただいている今が、嬉しくて、嬉しくて、感謝しても仕切れない。実際に世界中の人を助けているか疑問だが、卒業文集に書いた夢に近づいて生きていられることが、有難くてたまらない。先住に助けていただいたからこそである。

 つまり、考えてみると、すでに私は御利益をいただき過ぎていることになる。恩を受けすぎている。もう個人的な願いを云々する身分ではないと思う。とても返しきれない御恩があるから、日々に努めてご奉公させていただくしかない。

 日博上人の辞世の句に、
命をば 妙法華経に奉り
 カンナをかけてやりし日もあり
とある。私は、日博上人の余りにお若いご遷化に、口惜しかったのではないかと思っていた。しかし、それが少々違うことに気がついた。御導師は、少年の頃に結核を患い、お教化をうけて御題目とお供水で一命をとりとめ、日歓上人の下で得度までさせていただいた。横浜妙深寺の住職としてご奉公されたことを、心の奥底から随喜されて、大恩と思われていたに違いない。御法さまの大恩に感謝して、命を削ってご奉公をされたのだと思う。

 日博上人は、昼や夜の別もなく、日本国中は勿論、ブラジルまでも、まさに命にカンナをかけてご奉公された。その御法さまに感謝するご信心、御恩返しのご奉公姿勢、身体を張って菩薩行に励む気概を、私たちは学ばねばならぬと思う。

 開導聖人は、
身にかへてつとめはなさで中々に 
 報ひなしとはかこたざらなむ
と遊ばされている。「身にかへて」とは「身体を張って」という意味。身体を張ったご奉公づとめ、信心修行がなくして、報いがあるだの、無いだのと言うのではない、変なことを言ってもらっては困る、とお示しになられている。

 人間というのは、とかく自分のことを棚に上げて、人を怨んだり、人のせいにしたりする。さらには、御法さまのせいにまでしたくなる。しかし、それは実に身勝手な話で、それ以前にどれだけ自分が努力をしたのかを問わなければならない。

 特に、ご信心は「感応」である。御法さまと祈る私たち信者の心が「感応」しなければ御利益はない。ご本尊は、生きてまします御仏で、推量の余地はない。問題は、祈るこちらの姿勢・心である。賽銭を投げて待つのではなく、感応道交だから、ご信心を起こせばダメなものがダメでなくなるのである。

 お祖師さまは、開目抄に於いて、
「されば重ねて経文を勘て、我身にあてて身の失をしるべし」
とお認(したた)めである。これは、何故に御経で法華経の行者を守ると誓いを立てている諸天善神が未だ姿を現さないかと問われた文脈の中でのお言葉で、そんな時だからこそ自分自身を教えに照らしてみる、間違っている点は無いか省みる、とお諭しなのである。その謙虚な姿勢こそ、私たちのお手本である。数頁後に、さらに続けられて、
「人を怨むことなかれ。眼あらば経文に我身をあわせよ」
とも重ねてお諭しになられている。

 前述御教歌の「かこたざらなん」とは聞き慣れない古語だが、「人のせいにするな」「なげくな」「不平を言うな」という意味で、努力もせずに責任を転嫁する悪癖を戒められている。

 不平や不満が頭に浮かぶ。その方が多いかもしれない。人のせいにしたくなることもある。しかし、そこで自分の果報や自分の過失、罪障、自分の努力の有無や厚薄を謙虚に考えて、感謝して前に進む、向上していくしかない。

 恩に感謝して生きることほど、幸せなことはない。感謝は謙虚さから生まれ、努力は不満を退ける。きっと、そこに御利益がある。



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