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  心を磨く人になる

2007/1



 他人の心を変えることは難しい。しかし、自分の心ならばそれより簡単なはず。

 自然の理、システムやバランスが悲鳴を上げて何かを訴えている。自然災害やノロウイルスの蔓延は、新年を祝う気持ちをも滅入らせる。新型インフルエンザの世界的流行の予兆や人間圏が遠因と思われる大災害の兆候は、不安感や危機感をさらに高めている。

 人、人間、世間も、大切な歯車やバランスが、音を立てて崩れている、その最中のような、そんな焦燥感を抱かされた年の瀬だった。相次ぐ青少年の自殺、大人たちの困惑、教育現場の荒廃、お年寄りなど弱者への詐欺、自由化による食うか食われるかの競争激化など、気の滅入るニュースが続いた。

 ぜんそくの子が十年で倍に増え、過去最高を更新。アトピー性皮膚炎の子は十人に一人という深刻さと年末の新聞が一面で報じていた。

 神奈川県内の幼児虐待件数は、この六年間で二・五倍に増加したという。先住の御遷化から七年目、その僅かな期間に、世が悪化したという一例か。腑甲斐なく思う。いま生きているあらゆる人間は、未来に対して責任を持っている。今年、平成生まれが大学生になる。世も人も、急速に変化してきたが、平成年間、彼らが何を見てきたか。怯えているだけでは仕方ない。

 だから、どうするか。決定的な原因や解決の糸口が見つけられず、対処療法を繰り返すのみの社会。アレルギーの圧倒的増加の原因も、大気汚染や生活習慣などの影響と、原因の特定が出来ないままである。ノロウイルスも、いじめの問題も同様に、原因は特定不可能という。その間に悪化し続けていく自然界、人間界。呑気に構えているわけにいかない。家族が被害者になってから嘆くわけにいかない。心構え、準備と修行が必要ではないか。

 み仏は、この末法という世界を、「闘諍言訟(とうじょうごんしょう)白法隠没(びゃくほうおんもつ)損減堅固(そんげんけんご)」と説かれた。そこは争いや諍(いさか)いが絶え間なく続き、仏法は忌避され、み仏の威光がほとんど消え失せてしまうような時代とされている。私たちは、その末法で生きている。敬遠したくなるのも仕方ないが、ここで生きていく以外にはない。

 今年。どうやって我が身を守り、家族を守ってゆくか。年頭に思い描いて、自分が向かうべき方向を見出し、その方向を見据えて努力してゆくべきであると思う。

 末法では、思わしくないことが起きて当たり前。その覚悟が必要という。誰かを恨んでも仕方なく、他人に期待していても始まらない。こちらに非がなくても批判され、正当に評価される機会は少ない。公明正大な評価を求め抗議・行動することも大切だが、それに終始しているのは精神衛生上も良くはないし、実際に得るものも少ない。

 悪世末法という時代を生きる。そこで私たちが目指すべき方向は、他者への期待や評価に基づくものではなく、それ以前に、徹底して「自分」の「心を開発する」「磨く」「育てる」という方向でなければならないと思う。特に、末法の人々にあてたみ仏の教えは、この一点に向けられているとすら思う。

 まず、「自分の」という方向性が大事である。他人のせいにしたり、誰かに期待したりする前に、自分が未熟では、戦えないし守れない。人生は、責任転嫁が許されないのだから、甘い期待を抱く以前に、まずは「自分」を厳しく見据えて、その質の向上を目指すべきと思う。これは信仰の大前提ではないか。

 その「自分」の「心」である。競争が激しく、不安定で恐ろしい世界にいるからこそ、自分の持つ全能力を活さなければ勿体ない。脳や筋肉には未開発の領域があると知られているが、男も女もなく、人間にとって最大の未知の領域は「心」である。その「心」をバランスよく開発し、活かすことこそ、私たちの本質的な成長に違いない。心の奥に眠る豊富な水脈を知らず、炎天下の砂漠の上で嘆いているのでは仕方ない。他に求めるのではなく、自分の「心」の幼さや弱さ、偏りを改めることが第一である。

 開導聖人は御教歌に、
   かほかたち つくろふものは おほけれど
     心をみがく 人はすくなし

とお示しになられた。悪世末法の中で、本来は「心」を磨くことが幸福への道であるにもかかわらず、容姿を繕うことが幸せになる近道のように勘違いしている者が多い、とお嘆きである。

 同じように、「心」を置き去りにしたままで、外の世界に武器や盾、鎧を求めて、探し回っている人も多い。知識や地位は、強力な力を持っているに違いない。お金やコネを求めるのも無理はないが、それが自分や家族の幸せにとって二次的なものであることを忘れてはいけない。最も大切なのは、「心」なのである。

 古代ギリシャのヘロドトスは、その著「歴史」の中で、アテネの賢者ソロンがクロイソス王を訪ねた時のことを伝えている。

 王は、彼を歓待し、宝物蔵にも案内して豪華な財宝を悉く見せた。そして、「そなたは、誰がこの世界で一番幸せな人間と思われるか」と尋ねた。ソロンは、王以外の人の名を挙げ、苛立つ王に向かって、

「あなたが莫大な富をお持ちで、多数の民を統べる王であることは承知しています。しかしながら、腐るほど金があっても不幸な者も沢山おれば、富はなくとも良き運に恵まれる者も沢山おります」と答え、「幸福を垣間見せてもらった末、一転して奈落に突き落とされた人間はいくらでもいるのですから」と述べたという。

 その言葉はクロイソス王の意に添うはずもなく、彼は退けられた。まもなく、王は愛する息子を失い、ペルシアとの戦争に負け、国をも失った。

 人生には様々なことが起こり、悪世末法ともなれば日を経る毎に問題や矛盾、事件や事故も迫ってくる。しかし、身の回りに起こる現象にだけ捕らわれて、一喜一憂するだけではイタチごっこになる。その時々に我が身、我が「心」の有り様が最も大切なのだと信じて、心を磨いてゆくしかない。

 そうすれば、幸せはより大きな幸せに、不幸な出来事も乗り越え、より大きな幸せの種へ変えてゆくことが出来る。たとえ悪世の闇に巻き込まれていても、である。

 当然、心の開発はご信心に限る。未知の領域から力を引き出す鍵は、ご信心にある。実践すれば分かる。どうか、この一年、家族みんなで御題目を唱え、お参詣に努めて、悪世を乗り切る強い心を養うべく、「心を磨く人」になろう。



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