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  プロセス主義でいく

2008/10



 他人の心は如何ともしがたいが、自分の心はこちら側にあるのだから、最初に何とかすべきだろう。人に多くを期待するよりも、自分の心、自分の行動や努力に焦点を当てることが出来たら、イライラ他人に多くを望むよりも気持ちは晴れて、毎日が充実するだろう。

 いま、もしもあなたの気持ちが晴れずにいて、愚癡や不平が出てしまうなら「思考」と「行動」のバランスが崩れていると考えたらいい。「行動する人のように考え、考える人のように行動する」のが目標とする生き方だが、得てしてそれらは乖離してしまう。

 凡夫一人の心の中、感性の中で、結果ばかりを考えてしまうようになると身体が動かなくなる。思いばかりが焦ってしまうから愚癡や不平が出てくる。結局、幸せではなくなる。こうした人や状態を、「結果主義」と呼び、自分の今を振り返ってみるといい。

 一流のスポーツマンは漏らさず「プロセス主義」である。レースや競技の直前に、その結果を気にしていたら、身体が動かなくなり、良い試合や結果が出せる訳はない。「勝ちたい」という気持ちが強くても、「結果は、練習を積み重ねていればついてくるもの」「すべては通過点である」と心に刻んでおく。これまで積み重ねてきた「経過」、「プロセス」に重心を置いておくからこそ、臆することもなくなり、気持ちも、身体も軽やかになり、注目される選手でも、スランプに陥っていても、怪我をしていても、大きく狼狽えることはない。

 練習しかない。積み重ねるしかない。その積み重ねの果てにこそ、待望した結果がある。練習もせず、努力もせず、結果を期待すること、結果ばかりを思い描き、追い求め、考えていることなど意味がない。

 いま、あなたは「結果主義」と、「プロセス主義」のどちらだろう。

 幸せになりたい。そう願う人生最大の目標・結果は、日々の積み重ねの中にしかない。結果は後でついてくる。幸せになれないのは、運命や姓名や相性や血液型のせいではなく、幸せになるための努力、積み重ねを怠っているためであり、外に答えを求めて考えていても 仕方がない。そこに答えはなく、考え、願っているだけだと身体が動かなくなってしまう。気持ちは沈んで、自分が脆くなってしまう。

 プロセスとは結果に至るまでの経過に他ならない。愛されたい、売上を上げたい、成績を上げたい、事業を成功させたい、勝ちたい、お金持ちになりたい、という結果を求めることはいいが、プロセスを飛び越えた思いだけでは意味がなく、むしろストレスにすらなる。

 結果は、自ずからついてくる。もしも、結果を望む気持ちを強く持っているのなら、プロセス主義に徹して、結果を手にして欲しい。

 仏教は、徹頭徹尾プロセス主義であり、プロセスの中にこそ結果が備わっていると教えていただく。スポーツで勝負に勝つ、夢が叶うという結果は、この上なく素晴らしいものだが、人生は続いていく。本当に手にしたい結果は、人生の最期の日を迎えるまで出ないのだから、絶え間ない毎日の中にこそ喜びを見いだせなければならない。それがプロセスを重視した生き方である。

 永遠に満たされた状態のままで、何の不安もなく、思い悩むこともなく、喜びの中にいたい。しかし、私たちが追い求める最高の状態は、そのままでは手に出来たとしても一瞬で消えてしまうかもしれない。

 毎日の生活の中に、結果と結果の間、コツコツと積み重ねる練習や修行の中に、本当の喜びがあると感じられたら、その人は人生の極意を知る人となり、すでに幸せの中に生きている人だといえる。私たちのご信心では、その生き方こそ目標なのだから。

 結果ばかりに思いがいき、プロセスに喜びを感じられない人は、一瞬の喜びを求めて、永い不安を味わってしまう。人生は、勝負の連続で、得たいものも多くあるが、だからこそ、計算高さを用いず、積み重ねる中に喜びを感じたい。

 開導聖人は御教歌に、
「そんすると 思ふがゆゑに 参詣も つとむることも すゝまざりけり」
とお示しになられている。損する、得じゃない、と思う気持ちが修行に向かわせない、プロセスの大切さを忘れさせると教えられている。先に結果ばかりを追い求める凡夫持ち前の損得勘定が、日々に積み重ねるべき修行に向かわせない、そこに喜びを感じさせなくする。

 一朝一夕に、幸せにはなれない。「功徳を積み重ねる」という修行、プロセスに重心を置いて、お参詣やご奉公の中に励む。凡夫の損得勘定が先行するから、最初は辛い。凡夫の損得で考えたらずっと辛い。しかし、そこを「続ける」と覚悟して実行できたら、日々の修行の中にこそ、ご信心の本当の意義や喜びがあると気づけるのだから。毎日がプロセスの中にあることで、心が満たされ、喜びが湧き起こる。それは、「お参詣させていただく」「ご奉公はさせていただくもの」と決定できれば誰でも味わえる。

 お祖師さまは、修行の中に身を置き、気持ちがゆるむことのないように私たちを激励くださる。

「此より後もいかなる事ありとも、すこしも弛む事なかれ」
「強盛に、はがみをして、弛む心なかれ」

 歯ぎしりするほどの苦しく辛いことがあったとしても、信心修行から離れてはならない、弛めてはならないと強くお諭しである。

「月月、日日に強り給へ。少しも弛む心あらば、魔たよりをうべし」

 考え方が結果主義に流れると、足も身体も止まる。思考と行動がバラバラになると、苛立ちが募る。イライラして、誰かのせいにして、心が定まらなくなる。結局、魔に引きずられてしまう。信心修行に前向きに、軸足を置いておけたら、魔など近寄ることすら出来ない。

 お参詣できる自分、御法さまの前で祈れる自分がどれだけ幸せか。人のために祈り、お世話するお役、御題目のご信心で誰かを支えたいと努力できるようになった自分が、どれだけ幸せか。

 開導聖人の御指南に、
「信者、信を忘れて凡夫持ち前の算盤をとる時は、仏説を信ずる福田はかくれて煩悩となる。日の西山に入りて明かりかくれて闇夜になるがごとし。信起きれば日出でて明らか也。損得の心起きれば、日暮れて闇の如し」。

 見えていたものが見えなくなる。損得で信心するようになり、時間や身体を惜しんでお参詣やご奉公から遠ざかればサインも消える。とにかく、プロセス主義でいこう。



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