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  人生の損益分岐点

2008/12



 一からやり直す準備をしておかなければならないと思う。来年は立正安国論の上奏から七五〇年の正当年となる。悠長に構えていて、いざという時に後悔しないようにしなければならない。

 金融危機は全世界を震撼させて、これから本格的な混乱を迎える。矛盾に満ちた経済システムからの脱却と新しい世界秩序の構築へと向かえば良いが、不景気は身近に迫り、私たちの生活基盤まで崩壊させる危険がある。地球は必死に自浄作用を働かせて、バランスを保とうと努めてくれてはいるが、人間の愚かさと強欲さはそれらを軽く上回っているように思える。

 立正安国論でお祖師さまが引用された大集経、金光明経、仁王経等にあるように、み仏の正しい法が埋没して隠れ、貪瞋癡の三毒は倍増して、家庭内に問題が絶えず、社会も自然界も混乱の危機に陥る。昨今の世界情勢に通じている。

 すでに、ライアル・ワトソン著「生命潮流」の「百匹目のサル」は作り話と断定されているらしい。しかし、幸島のサルがイモを洗いはじめたことが、全く物理的には関係のない場所の猿たちにも伝播したという話は人々を魅了した。

 ユングであれば、「集合無意識」や「シンクロニシティ」と定義を試みる。しかし、自然科学的には簡単に立証することはできない。仏教で明らかにされた宇宙法界の在り方には、これらの心の機能と作用、影響が細かく説き明かされ、三災七難の起因も極めて明確だ。

 人の心には驚異的な力があり、想いは万里を駆けめぐる。携帯の電波よりも強力に、心と心は結びつくことができる。それは人から人、動植物、自然界へと行き渡る。つまり、多くの人の思いが宇宙の法に違背して国や地球に満ちれば、人も国も世界も間違った方向へと突き進んでしまうのは当然だ。

 いざ、人心が荒廃し、生活基盤である社会が危機を迎えているというのに、何の答えも備えもなく、人と世の立て直しに尽力することもなければ仏教徒とはいえない。

 京都の秋は見事な紅葉に彩られ、どこも観光客で溢れていた。春は花、秋は月、そして山々を染める紅葉。誰もが憧れる古都。週末となると車も動かないほどだった。

 御教歌
 月花を 見てくらすべき 時にあらず 世に益あらん ことをつとめよ

 幸福になる道を歩めていないのにもかかわらず、風流がる人々。人として、為すべきことを知らず、出来ていないのに、趣味や風情を楽しむことにかけては、人一倍の関心と努力を払う。そんな愚かなことがあるか、とお示しである。

 今こそ、世のため、人のためと、人としての本業を全うするために、心の柱、信心を立て直して、必死に努力すべき「時」なのである。

 開導聖人は、京都でお暮らしになられた。しかも、都でも一流の文化人として認められた方であり、情緒や機微を極めた方でもある。ストレスの多い私たちにとって、遠き山河に眼を転じ、草花を愛し、季節の移ろいを感じる心のゆとりも必要だろう。誰よりその大切さをご存じなのは開導聖人のはずだ。

 イスラム教のタリバンではないのだから、人間生活の中から趣味や季節感を排除せよと仰っているのではない。ただ、四季の移ろいから学ぶべきは、無常の身の上であるという自覚であり、限りある命の使い方、人間としてあるべき生き方ではないか、とお示しなのである。

「今はそんな時ではない」「そんな場合じゃない」と厳しくお戒めをいただいている。仕事や子育てが一段落した人でも、趣味や旅行に興じている場合ではない。仕事や家事に追われる世代の人も、この時だからこそ、生命力や影響力を駆使して、危機が身近に迫りつつある世界のために益ある生き方を実践すべきなのである。

 リラックスしているだけでは、人生の大義を失う。人生の目標を見失っているのに、趣味や風流ではない。仕事も中途半端、家庭の中でも結局は浮いてしまう。

 人間の本業を菩薩行と感得するまでには大きな壁がある。しかし、今や悠長に待っている時間はない。人は、御仏の教えに沿う生き方を損だと思い、自分の欲望を満たすことに努力するのを得だと思って生きている。しかし、ある時点で、生き方に於ける「損益分岐点」を迎える。人のために生きる菩薩としての生き方こそ得と思い、自己の満足を追求するだけの生き方は結果的に損になると、損益分岐点が訪れるはずだ。み教えに従い、功徳を積み、ご奉公させていただくことを喜べるようになる。そうして、お祖師さまの教えをいただいた本当のご信者となるのである。

 スリランカ青年会のディリーパ君は十九才。インタビューの中で、彼は自分にとって最大の御利益が菩薩行に励めるようになったことだと語った。損益分岐点を迎えた人間こそ最上の御利益を感得した人間だと声高らかに教えてくれる。

『僕はディリーパといいます。 体験談ですが、それは僕の人生そのものが御題目口唱を通じていただいた御利益だと思っています。僕が思う一番大切で、価値のある御利益とは、「広宣流布」のご弘通ご奉公をさせていただける機会に恵まれたということです。それが僕の御利益談です。

 いま、スリランカは内戦状態が続いています。僕は、今の世界にとって一番大切なことは「平和」だと思います。私たちは御法さま、御題目を通じて世界の平和を実現すべきだろうと思います。世界中に御題目を弘めることは僕たちの義務で、御題目が弘まることで、僕たちも助かり、世界の平和も、確立できるのだと思っています。ありがとうございます』

 私たちは彼のように思えているだろうか。彼の言葉、生き方こそ、お祖師さまの教えられた生き方で、今こそ私たちも始めるべき生き方である。

 お祖師さまの御妙判
「未来永永の楽しみは、かつがつ心を養ふとも、強いてあながちに電光朝露の名利をば貪るべからず。「三界は安きこと無し なお火宅の如し」は如来の教へ、「ゆえに諸法は幻(まぼろし)の如し 化の如し」は菩薩の詞(ことば)なり。寂光の都ならずば、何(いづ)くもみな苦しみなるべし。本覚のすみかを離れて何事か楽しみなるべき。 願くは「現世安穏 後生善処」の妙法を持つのみこそ。ただ今生の名聞、後世の弄引(ろういん)なるべけれ。須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と、我も唱へ他をも勧んのみこそ、今生人界の思い出なるべき。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」

 今こそ、人と世界の損益分岐点。



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