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  世界が変わる年

2009/1



 新年を迎えて、世の矛盾を思う。貧富の差は拡大し、もはや安定的な職業などなく、不安な気持ちで正月を迎えている人たちがいる。政治的過失ともいえる金融危機、それに伴う世界的な雇用の危機は、私たちの暮らしに直結し、大混乱と大変革をもたらすに違いない。

 真実の仏教は、混乱期に乗じて人々の不安を煽るものではない。苦難や困難を乗り越えて、安心や安穏を手にする為の方法を教える。

 仏教団体やその教職にある者は、内向きの話や仏教用語の解説等に終始している。世界の情勢や人々の暮らしに無関心すぎて口惜しい。知識ではダメだ。「信」を説かねば人は救えない。ご弘通も出来ない。「信を説かば御法弘まる。法門すれば信者すす(進)まず」

 新興宗教は、巧みに社会問題を取り上げて人々の不安な心に取り入るが、間違った信仰は人と社会の双方に不幸をもたらしてしまう。

 正しい心を持たなければ人間は幸せになれない。正しい心を持つ人が増えなければ、世界に平和は訪れない。世界中に邪な心を持つ人間が多くいたなら世界は混迷を深めてゆく。心の薬も鏡も持たず、心が濁ったままであれば、人間は何をしていて、何を持っていても、幸福に生きてゆくことは出来ない。

「佛法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。佛法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば、影なゝめなり」

 この単純明快な真理を自ら知り、信じ、実践してゆけるようにならなければ、仏教徒として混乱の世に挑むことすらできない。

 高祖日蓮大菩薩は、七五〇年前、時の最高権力者であった元執権・時頼に「立正安国論」を上奏した。これは、為政者や日本国家のみを対象にしたものではなく、調和を失った人と世に対して、その立て直し方を布告されたものである。

「牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ骸骨(がいこつ)路(みち)に充(み)てり。死を招くの輩(ともがら)、既に大半に超え、悲まざるの族(やから)、敢て一人も無し」

 立正安国論の冒頭。生きようともがき、生きることに嘆く人々の姿を見て悲しまぬ者はいなかった。七五〇年御正当に当たり、昨今の厳しい社会情勢に照らし合わせて、我が身に当てて拝見し直すべきだ。

諸分野に専門家や研究者を抱え、世界各地に様々な宗教寺院が軒を連ね、多くの人が貧困や不平等と献身的に向き合い、幸福と平和と繁栄を模索している。この英知と人々の奉仕はなぜ報われないのか。

 それは、人々が未だ真実の佛法を知らず、偏った教えを信奉しているからに違いない。多様化することは宇宙の業の一つだ。しかし、多様化し、乖離したものを一つにする「法」と「信仰」がなければ、対立と闘争を繰り返すばかりで、深い意味での調和と真に継続的で普遍的な発展が約束されない。

 立正安国論の結文には、
「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ」
とある。敢えて「汝」と「あなた」に呼びかけ、混迷する社会を自分自身で乗り越えよ、と諭された。

 全ては自分の問題であり、全て自分で解決できるはずだ。まず、その覚悟をもって人生に対処しようとするのが真実の仏教徒である。

 如何に社会が理不尽であろうと、矛盾が溢れていようと、今や仕方がない。諦めることを勧めているのではい。他者への依存ではなく、自分が世界を変えてみせるという気概、一人が変われば世界はより良く変わってゆく、一瞬で世界は変わるのだと確信を持ち、力強く生きることを勧めている。因果の道理で説かれる真実の生き方は、宇宙誕生以来敗北したことがない。

 権益を有する者と有しない者、学歴のある者と無い者、富める者と貧困にある者、強者と弱者など、人はそれぞれ立場も環境も異なる。決定的な線引き、絶望的な差別も未だに根強くあるかもしれない。しかし「汝」が生き方を変えれば、世界も国も身も心も、安全にして定まることができる、と説かれている。それを実現するための佛立信仰であり、佛立信仰とはそれを実現するものだ。

 ベルリンの壁の崩壊から二十年。また世界は大きな変革期を迎えた。このままの体制が続くはずはない。危機的な状況が目の前に迫っても、慌てず、嘆かず、まず「心を立て直す」「正しく信心を立てておく」「信心を立て直す」と腹に決めて、再生と躍進の好機としていただきたい。「立正安国論上奏七五〇年」に当たり、私たちは「立正信行」と題して、共に危機を乗り越えてゆきたい。それこそ、お祖師さまの御意だと考える。

 時代が厳しく、状況が刻一刻と変化すると、視界が狭まり、目先のことしか見えなくなってしまう。結果として、先を読み誤り、大切なもののプライオリティーがつかなくなる。人間関係のトラブルが増え、人への思いやりがなくなる。言い方はぞんざいで、自己中心で、上辺の嘘も増える。仕事でも家庭でも、口先だけの言葉や思いつきの言動で、悪循環に入ってしまう。

 このような時代、年だからこそ、今さら愚痴を言っても始まらない。不安に怯えていても、極端に開き直っても仕方がない。佛立信心を心の柱として、自分の果報の中、流れの中、御縁の中で、最大限の努力をしていれば、必ず報われる。お導きがあり、お見守りがある。これは絶対に間違いない。

 今まで、いつも御法さまからの御縁をいただき、チャンスをいただいてきたことを思い返し、全て完璧なタイミングだったのだから、この難局でも、視界を良好に保ち、心が乱れ言動が定まらないということのないように、御法さまからのお見守りやお導きがいただけるように、「立正信行」を目標にして本物の信心を進めていただきたい。その覚悟、その生き方こそ、佛立信者の真骨頂であり、妙不可思議の御利益をいただく肝だと思う。「今正しく是れ其の時なり」

 百年に一度の大恐慌だろうと、
欲なくば こわい物なし 信あれば 人を助くる 楽しみもあり
との御教歌を胸に、朝夕のお看経を怠らず、人間の本業・菩薩行を忘れず、あらゆる人間関係の中で、活き活き、強く、明るく、正しく生きてゆけるはずだ。

 飢饉、疫病、地震から戦争まで、極めて深刻な事態に直面するかもしれないが、「立正安国論」の御意、危機に備えて不屈の信心を培い、苦悩する人々をも支えて欲しい。

 危機を乗り越えて世界は変わる。変わらなければならないし、変えなければならない。その新文明の先駆として、佛立信者が試される。世界が変わる年。それは、世界を変える年である。



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