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  生きたお寺がある

2009/9



 私たちは戒名料や塔婆料、墓地販売で生計を立てている葬式仏教や既成仏教の寺院ではなく、普通のお寺である。政治活動や法外な寄付を強制する新興宗教でもない。

 難しい議論をするよりも、教義を説明するよりも、この「普通のお寺」「生きたお寺」「本来のお寺」を見ていただきたい、知っていただきたいと思う。私たちが御仏やお祖師さま、門祖聖人、開導聖人、先師上人から受け継ぎ、守り続けてきた「本門佛立宗」のDNAを、このお寺を見ること、そこに集う人と接して、感じていただきたいと思う。口先で言っているだけでないことを、ここで証明する。

 法事の時にだけ行くお寺。お墓があるから行くお寺。盆と彼岸に案内が来るから対応するだけ、というお寺は、本当のお寺ではない。本当のお寺の役割を知らないし、使っていない。本当のお寺、普通のお寺を知らないでいる。

 生活の中にお寺がない。それは何と不自然で、不幸なことだろう。生きた人が集う、信頼できるお寺が身近にある、暮らしの中にあることほど幸せなことはないはずだ。

 二十四時間、生きた人に教えを説き、その人の力になろうと待機している僧侶がいる。その僧侶と同じように、人々の力になろうと努めているご信者の方々がいる。社会の中で失われていった「信」で結ばれた輪。性別や世代を超え、職業の壁を越えて、御法さまの下で一つになれる輪が存在している。

 地球の果てにいる人とも電話やメールで交信できる社会に生きていても、隣にいる人とすら会話を交わさなくなった世の中。孤独の海にポッカリと浮かんで漂流しているようにも思える。海の向こうに何も見えない。縋るべきものも頼るべきものも浮かんでいない。見えては、消えていく。それでは人間としての価値が見出せない。

 横浜駅の西口近くにあったお寺。大雨になると川が氾濫して本堂が浸水していた妙深寺。昭和十八年に「神奈川妙証教会」から「お寺」となった。増築を重ねていたため、本堂は柱だらけだった。しかし、「生きたお寺」として多くの人が集い、笑い声は絶えたことがない。御題目の声、御法門、ご信者方の笑顔、涙。それぞれの生活の中心にお寺があり、お寺がそれぞれの生活と共にあった。

 誰の人生にも様々な問題がある。相克と葛藤。ご信者であろうと、老いと病、死からは逃れられない。しかし、だからこそ、その人生の傍らに、お寺は必ず必要なのだ。

 今から四十年近く前、三ツ沢に移転した妙深寺は発展を続けた。社会は激変し、人々の生活や心も変わっていったが、本門佛立宗のDNAを守り続け、明るい笑顔と真剣なご信心を失うまいとご奉公に努めてきた。

 先日来、九十才代の素晴らしいご信者方が立て続けに帰寂され、お見送りした。佛立信者の死とは、単に哀しむべきものではないが、やはり惜別の思いが胸に溢れた。

 神藤利子さんは、横浜で生まれ、横浜で一生を過ごされた。戦後間もない頃に妙深寺のご信者となり多くの方をお教化された。現在の妙深寺にとって欠かせないご信者方である小山さんや瓜生さんも、神藤さんのお教化による。もしも神藤さんがいなければ、こうした方々もおられない。妙深寺が誇る偉大なご信者のお一人だ。

 神藤さんは、九十才を過ぎても手押し車を引いて、一人でお参詣されていた。そのお姿は、本物中の本物のご信者の姿だった。私は、少しだけ心配で、見かけるたびに抱き合うようにご挨拶していたが、おちゃめな笑顔で応えてくれる。いつも、周囲を明るくしてくれた。九十六才で帰寂されたが、お参詣を止めることはなかった。

 その神藤さんにも悩みがあった。それは、子どもたちがしっかりとご信心を受け継いでくれるだろうかというものだった。今年七月の開導会。神藤さんは息子さん二人を連れてお参詣された。実は体調が悪かったとのことで、お寺から病院に直行して入院されたという。

 八月末、帰寂される一週間前、二人の息子さんを家に呼び寄せた。そして、部長さんにも自宅に来るようにお願いされたという。病院から外出してきた九十六才の神藤さんは、自宅の御本尊の前に息子さんと部長を並べて引き合わせ、しっかりとご信心するように二人を諭した。

 お二人は「御本尊拝受願」を 書かれた。神藤さんは生涯最後のお教化を、念願だったご家族への信行相続で締め括った。息子さん達が入信書を提出するのを見守り、見届けて、その後すぐに、救急車で病院に帰られた。

 一週間後、神藤さんは寂光へとお帰りになられた。まさに、帰寂と胸を張っていえる見事なご信心を最後まで貫かれた。

 帰寂の姿も、その通夜告別式の手配の上でも、申し分のない現証の御利益を顕され、ご家族一同が「母親の信心のすごさを感じた」というほど素晴らしい最期だった。

 実は、妙深寺の広報部が昨年の五月に神藤さんにインタビューを行ってくれていた。「生きたお寺」、妙深寺の伝説的な先輩ご信者の声を残しておきたい、という熱意で生まれたご奉公だった。撮影当時九十五才の神藤さんは、ケラケラと笑って家族に語りかけていた。

 九十六年を生きた神藤さんの声、事実、真実、愛、希望、思いが、偽りのない映像というストレートな形で飛び込んでくる。私たちはお通夜で、この映像を放映した。

 妙深寺と共に生きた一人の偉大な女性の言葉。ご家族一人一人に語りかける言葉に、導師座で涙が溢れた。

「横浜のおばあちゃんだよ。いつも、元気か?ってお電話くれてありがとう。ありがとうだけどね、妙深寺に参詣しないから、それを、おばあちゃん悩んでるんだよ…。一生懸命、妙深寺に、妙深寺に、お兄ちゃんたちと励まし合って、末永く、妙深寺にいられるよう、御題目を唱えられるよう、ご信心してや」

 優しく微笑みながら、こうしてお話になっていた神藤さん。「信」がなければ何が出来てもダメ、「信」さえあれば、何が無くても大丈夫だという母親の愛、ご信者の確信を伝えたかったのだと思う。それは同時に仏教の核心でもある。

 人は、良いお寺なくして幸せになれないと思う。その良いお寺が「妙深寺」であって欲しいと思う。神藤さんの言葉に、責任の重さを痛感した。本門佛立宗のDNAをしっかりと継承して、正法を護持する、生きたお寺であり続けたい。



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