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イスラエル渡航記 第6話 「メディア」

長松清潤 記


 久しぶりに旅先で録画したビデオを見てみました。8本のテープに鮮明に映るイスラエルの風景や私自身のコメントは、あの時感じていたことを蘇らせてくれます。

 カペナウムの駐車場で、3人連れのお婆さんと出会いました。彼女たちはスウェーデンから来た福音派の巡礼者でした。一人の方は、きついメガネを掛け聖書を携えた、ちょっと恐ろしい感じの人でした。しかし、その隣の、本当に優しそうな品のある初老の婦人、笑顔が素敵な方が話しかけてきました。

「どこから来たのですか?」
「日本です」
と答えました。彼女は自分がスウェーデンから来ていることなどを話し、私もフィンランドに友達がいるという話などををしました。
「あなたはクリスチャンですか?」
と聞かれたので、
「いえ、ブッディストです」
と答えました。
「では、ここには観光できているのね。あなたはキリストの行いについて知っていることがありますか?」
 私は、自分の知っているキリストについて少し話をしました。彼女は私の話をきいたかと思うと、驚いたことに、スッと真剣な目で突然手を握りました。
「私の言葉を聞いてください。どうか忘れないでください。どうか、いつか、あなたがキリストの教えを聞く機会があったなら、どうか心を開いてください。心を閉ざさないで」
と言いました。どうやら、私は彼女に「福音」を垂れられ、「伝道」されてしまっているようでした。困ったものだと思いましたが、彼女は、そのまま、
「名前は何て言うんですか?あなたのことを少し祈りたいのです」
と言う。
「名前は?」
「長松」
「は?ナママツ?ナヤマツ?」
「長松!」
ということを繰り返しましたが、どうやら発音が分からないらしく、
「大丈夫、神様はあなたの名前を知っているわ。大丈夫、大丈夫」
と言い、そのまま、天を仰いで、
「神様、ここにいる人をお導きください」などとお祈りを始めた。いつか、彼を導いてあげてください、と。

 正直に申しまして、すこしグッときました。なるほどなぁ、と。何の理屈もない。何の説明もない。ただ、神の愛を信じていて、喜んでいて、とてもシンプルに人に伝えようとしている、人と神様との仲人をしようとしている。その姿、そして何と言っても「手」の温かさと背中をさすられている暖かさにグッと来てしまうのでした。

 また、謗法を犯しているような話で申し訳ないのですが、私は佛立信心のあるべき姿を教えられた気がしました。「シンプルで良いんだ」と痛感したのです。考えてみれば、こうした行為は「結縁」の行であり、最もシンプルであるべき本門佛立の信仰で考えれば「下種」の行です。難しい言上も必要はない、頭でっかちになってルールを思い描く必要もない。ただ、御法さまへの喜びを持って、すれ違う人にも、「あなたのために。南無妙法蓮華経」と縁を結ぶこともできるのだ、と思い返しました。日本人の宗教観やカルト教団の街頭布教などに辟易した私たちには抵抗もありますが、自らの信仰が真実であれば、何の躊躇も後ろめたさもあり得ないのです。そうした行為が自然に出来てくると思うのです。

「福音派」に属する彼女は、実は聖書の難しい解釈や危険な教義や矛盾など知らずに、ただ自分の神について愛を感じているのでしょう。世界には彼女のような人がたくさんいるのです。

 特に、「エバンジェリカル(福音派)」と呼ばれるプロテスタントの諸派は、聖書の無謬性や伝道の重要性を強調し、「過去1週間以内に教会やシナゴーグ(ユダヤ教会)に行った」という人が半数に上る米国では、自分を「エバンジェリカル」と考えている人が4割を超えます。共和党政権を支える中核を担う福音派は、ラジオやテレビなどのメディアを多用して伝道を行うことで熱狂的な信者を獲得してきたのです。

 アメリカに行き、ホテルでテレビを回すと、舞台で声を荒げて叫ぶように演説している「牧師」を見かけます。彼らの多くは、福音派の「エバンジェリスト(テレビ伝道師)」と呼ばれ、「イスラム教徒は、ナチスよりも質が悪い」という発言で問題のキリスト教連合元総裁、パット・ロバートソンやブッシュ大統領等が心酔するビリー・グラハムが有名です。彼らはメディアを通じて熱狂的に呼びかけ、イエスの愛と使命を断片的に語り、政治問題や社会問題に言及し、世論を左右します。それは、ちょっとした良い話をしては和ませる、日本の早朝に放送している「宗教の時間」と本質的に異なります。

 発展した「メディア」は、私たちの感性に強い影響を与えます。ヒトラーも画期的な政治手法としてラジオ演説を多用し、熱狂的なナチス党員を獲得しました。1960年の大統領選以来、テレビでのイメージ戦略が得票を左右するということが常識になっています。北朝鮮中央テレビの過剰な演出を奇異に思っても、単一の情報だけであれば、人々の思想は偏り、コントロールすらできるようになるでしょう。虚実の線引きがなくなり、特定の団体や民族が目的を達成するために民衆を扇動する手段の一つになってしまいます。日本は大本営発表でそれを知っています。

 私は米国のスポーツ専門チャンネルESPN社と仕事をしていましたが、その親会社はABCネットワークで、さらにその上の会社はディズニー社。上層部はユダヤ系で占められており、何度かメディアの中にある思想宗教や、民族意識を感じました。宗教が世界の三大ネットワークの中枢にあるという現実を知らなければ、正しい法による正しい信仰心は芽生えないと思います。

 ただ、ベルリンの壁はラジオが崩壊させました。真実は刑務所内の虐待も明るみにしてくれます。日本で報道をされない中東の番組もインターネットを通じて見ることができる現代です。

 私たちは、福音派がするように煽動的な説教をする必要などありませんが、独立した情報を勝ち取り、偏った情報に幻惑されることもなく、真実の法を知らずにいる人たちのために、真実の仏教を発信し、地道な菩薩の生き方を実践すべきだと痛感します。メディアの効能の善悪を知ることが大事です。

 お婆さんの手の温もりは忘れられませんが、真実の仏教を信仰する私たちこそ喜びと感謝を抱いて、人々と触れ合うことが大切だと痛感したのです。


 関連情報サイト
  CNET Japan Blog - Lessig Blog (JP):「反ユダヤか、反ディズニーか」
  Lawrence Lessig Blog - "anti-semitism or anti-disney?"



(妙深寺報 平成16年6月号より)