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イスラエル渡航記 第12話 「回 廊」

長松清潤 記


 永い連載をしている間に、中東では様々な歴史的な転換点が訪れています。米国大統領はブッシュ氏再選が決まり、就任演説では「世界平和を実現する最善の道は全世界で自由を拡大することだ」と高らかに宣言しました。また、アラファト氏の葬儀が終わり、PLOの議長選挙が行われ、新たにアッバス氏が就任、和平に光りが見えてきたと報道されています。しかし、楽観的になれる要素は何一つありません。

 私は、「自由と民主主義」を享受してきた日本人の一人として、その尊さと重要性を痛感しています。自由な思想を持つことが許され、あらゆる思想の書物を読めることの素晴らしさ。政府の見解は勿論、政府を批判する記事も読める。そして、政治にも参加できる。私は自由社会、民主主義社会を享受しつつ、古(いにしえ)の覇王(はおう)の如き知的な豊かさを満喫しています。専門家の意見もすぐに聞ける、読める、研究できる社会。歴史の表、裏側まで勉強できる社会。本人の努力で経済的に向上できる機会が用意されている社会。

 しかし、この米国的世界観には矛盾もあり、大切な要素を忘れてはならないことを、多くの血が流された20世紀の歴史は教えてくれているはずです。それは「あらゆる人に」という普遍性が欠けていると、宗教が「カルト」になるように、高尚な理想も高慢な口実になるだけであるということです。

 1月27日、ユダヤ人150万人が虐殺されたというアウシュビッツの解放60周年を記念して式典が各地で行われました。ヒットラーが政権の座について以来、彼は着々と「わが闘争」で明言したユダヤ人迫害を断行し、世論もそれを歓迎して、ユダヤ人を不当に拘束し、ゲットーと呼ばれた強制居住区域に押し込めました。しかも、戦火が激しさを増す中でユダヤ人への迫害も悪魔の如き苛烈(かれつ)さを極め、アウシュビッツに代表される強制収容所での大量虐殺に至ったのです。この虐殺の歴史を刻む博物館「ヤド・ヴァシェム」もこの旅で訪れることになりましたが、想像を絶する規模の不当な暴力に胸が締め付けられる思いがしました。

 しかし、眼を転じて、今のパレスチナはどうでしょうか。私が考えているのは、今のヨルダン川西岸地域、パレスチナ自治区は「ゲットー」と何が違うのかということ。その地域に住んでいるパレスチナ人への経済的な弾圧、不均等な経済活動制限、行動制限、圧倒的に差のある兵器を用いた暴力と、ナチスが為した暴力と、何の違いがあるのかという疑問を指摘したいのです。

 アウシュビッツ60周年に何を想うのか。米国大統領の言う「自由の拡大」が、一方では中東の石油埋蔵国に向けられ、一方でパレスチナのように自由の無い国には当てはめられないとすると、「あらゆる人に」という普遍性が無くなり、単なる偏向した政治的口実、新たな弾圧を生み出す偽善的な態度でしかなくなると思うのです。

 嘆きの壁に向かって右端に、神殿の丘に上がる回廊が建設されています。この「回廊」はユダヤ人の聖域である場所から一線に神殿の丘に通じている。「こんな筈はない」と私は困惑しました。イスラム教徒、パレスチナ人たちは、この回廊の建設をどのように感じているのだろうか、と。

 2000年9月28日の木曜日、アリエル・シャロン氏がバラク政府の許可を受けて一千人の護衛を連れムスリムの聖地である神殿の丘を訪問した。シャロン氏の目的はアル・アクサー寺院の敷地にも「ユダヤ人の主権」が及ぶことを証明することにあると発表をされました。パレスチナ人の「アル・アクサー・インティファーダ」と呼ばれる抵抗運動が勃発し、わずか三週間の間に100名以上が殺され、うち27人が子供という最悪の事態となりました。今や取り上げる人もいませんが、あらためて書けばパレスチナ人とイスラエル人の死者の比率は、およそ15対1と、行使できる武力の差を如実に表しています。このシャロン氏の挑発の目的が何であるかは分かりませんが、こうした駆け引きの果てに多くの人命が失われるのでした。聖地を侵されることを最も嫌う虐(しいた)げられた人々。第一、1973年7月当時イスラエルの将軍だったシャロン氏は「イスラエル軍はいまやNATOの欧州軍より強力であり、必要ならば一週間のうちにハルツーム、バクダッド、アルジェリアを結ぶ地域を征服してみせる」と強弁する、珍しく本音を隠さない強健派でした。

 一週間も経ない2000年10月3日、米国とイスラエルが米軍用戦闘ヘリをイスラエルに緊急出荷することが合意されたと新聞が報じました。これは過去十年間で最大の取引でした。奇しくも、イスラエルの軍用ヘリコプターが集合住宅地域を攻撃し、何十人もの人々が殺されていくのと同じニュースの横に記事が並びました。

 この回廊が、今後どのように延びて神殿の丘と繋がり、誰が行き来するのか。イスラエルが何を考え、信仰心に燃えるパレスチナの若者たちが高い壁に囲まれたゲットーの中で何を感じているのだろうかと考えました。そして、何が起きてくるのだろうか、と。

 クリントン政権で核戦略最高機関で司令部の長官を務めたバトラー将軍は「危険極まりないのは中東と呼ばれる敵愾心(てきがいしん)の煮えたぎる大釜だ。ここでは、一つの国、イスラエルが、表向きには、大量の、たぶん何百という核兵器で武装しており、周囲の国々を刺激して、同じ方向へと走らせている」と指摘。米国はと言えば、「分別がなく、執念深く、挑発されればどんな過激な手段でも行使する用意があり、核を保有しない国に大して核兵器を使用することも辞さない」という自国のイメージを植え付けようとしています。これは公文書に記録された米国自身の戦略です。

 壁の上にも登ろうとするユダヤ人。パレスチナ人は南アフリカのアパルトヘイトにも似た厳しい状況の中で何を想っているのでしょうか。事態の行く末を誰もが見守らなければなりません。


(妙深寺報 平成17年2月号より)