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イスラエル渡航記 第16話 「古代ローマ」

長松清潤 記


 今でも、エルサレムを訪れることが出来て良かったと思っています。なぜなら、この地を中心に、歴史を再考することが出来るからです。

 単なる伝説ではなく、歴史資料に記載されたエルサレム周辺で起きた出来事に思いを馳せると、地中海の歴史やその後の世界史まで、紐解きながら再考することが出来るのです。 

 特に、イエスが産まれたとされる紀元前後の地中海世界の情勢、古代ローマ帝国とユダヤ国家、ローマの皇帝とキリスト教、弾圧とコンスタンティヌス帝のキリスト教の公認。そして、その後の世界。私たちの国。

 考えれば考える程、この地が持つ人類にとっての因縁というか、業の深さを感じます。ですから、単純に他宗教を誹謗中傷するということではなくして、歴史と宗教と政治の、複雑怪奇な現象や現実を、仏教徒のニュートラルな思想や信仰を基盤に、考えてみたい、考えるべきだ、佛立信徒ならば出来るし、佛立信者こそしなければならないと思っています。西欧に焦がれるだけの時代は終わり、新しい視点が必要な時だから。

 十三世紀から十五世紀にかけて、ある種の人々は古代ローマに大変な興味を抱いたのでした。ルネサンスと呼ばれる時代に生きた人々のことです。ローマは約千五百年前の五世紀に滅んだのですから、ルネサンスの人からしても千年前の遠い昔の話。そのルネサンスの人々は、問題意識を持って古代ローマに興味を持ったといいます。

 ルネサンスといえば、美しい宗教画を思い浮かべ、キリスト教文化が花開いたように思っている人が多いのですが、本当の意味は「古代復興」であり、その奥にあるルネサンス人の真意をマキアヴェッリの言葉を借りて要約すると、

「キリスト教は、約千年の間を通じ、ヨーロッパ人の精神を支配してきた。それにもかかわらず我々ヨーロッパ人の人間性は向上したとは思えない。これは、結局、人間の存在自体が、もともと宗教によってさえ変えようが無いほど「悪」に対する抵抗力がないからではないか。だとすれば、そうした人間世界を変えていこうとすればまずこうした人間性の現実を冷徹に直視する必要がある」

 古代ローマや古代ギリシャ時代に、当然ながらキリスト教はなかった。一神教がヨーロッパを席巻する前の文化や歴史、特に精神性を学びたいと欲する風潮が高まったのでした。それは、「人間性の現実」から遊離して一神教の善悪で全てを解釈することに疑義を唱えた運動でした。

 古代ローマ帝国は、多神教国家。あくまで人間の現実、賢さや愚かさを現実的に思考した人々だと言われ、その独自の戦後処理等は、征服した民族の宗教(神)を認め、征服した民を奴隷にするのではなく、市民権まで与えて「平和」な「ローマ文化圏」を築こうとしていったのでした。「寛容主義」とも呼ばれた政策で、「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」を確立し、地中海世界の人々は平和を享受したのです。一神教であったユダヤの民は、ユダヤの神を認めてくれたローマに対して感謝していたくらいでした。

 かのクレオパトラやアントニウスがユダヤの地を通過し、古代最大の愛憎劇がエルサレム周辺で行われたことから、カエサル(シーザー)とキケロの手紙のやりとりなど、十五世紀の人たちには、最終的に三十万の神々を抱えた多神教国家の人々、現実主義や寛容主義、キリスト教がヨーロッパを席巻する以前の人間の営みや精神性、文化をニュートラルな心で見たいと欲したのでしょう。古代復興とは教会による価値観からの脱却という意味があり、同時期のマルティン・ルターも同様の動機でプロテスタンティズム運動を提唱し、中世は大混乱となり、潮流は現代に連綿と繋がっています。

 今の私たちも大きな節目を迎えた世界で生きています。テロや紛争が相次ぎ、家庭が崩壊し、精神的にも経済的にも不安定な社会に立っています。ルネサンスとまではいかなくても、西欧諸国に憧れて、結婚式も宗教も見境もなくほとんどが教会でやるような馬鹿げたことは、もはや終わりにした方が良いのではないか、と思うのです。また一神教と多神教の二元論ではなく、「人間とは何か」という答えが御仏の教えの中にあると気づいて頂きたいのです。

 ともかく、ローマとエルサレムは切っても切れません。ポンペイの街がベスビオ火山の火砕流に飲み込まれたのと同時期に、後のローマ皇帝ティトゥスによって、エルサレムは西暦七十年、完全に破壊されました。一三五年、ハドリアヌス帝が氏名にちなんだ「アエリア・カピトリーナ」という街を瓦礫の上に建設しました。三一三年、ミラノ勅令でキリスト教が公認され、西暦三二六年、ローマ皇帝の命によって、聖地はようやく瓦礫の中から掘り起こされたのです。


(妙深寺報 平成17年8月号より)