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キリスト教等(一神教)の限界 〜真の世界宗教としての仏教〜




◆仏教とキリスト教の違い

 信仰を深く考えない多くの日本人にとっては、神も仏も信じれば一緒と考えるかも知れませんが、キリスト教に代表される一神教と仏教は本質的に全く違うものです。

 仏教は今から約二千五百年前に釈迦族の王子として生まれられたゴーダマ・シッタルダが出家をし、修行の後に「自然」と「自己」を深く覚知し、その「法」と一体となり、《悟りに至る道》を説かれたのが仏教です。「仏陀(ブッダ)」とは「目覚めた者」「真理を悟る者」という意味です。

 一方、キリスト教等は、造物主としての唯一絶対神(GOD)を、預言者を通じて知り、信仰します。特にキリスト教では、その神の子、救世主をイエスと限定し、神の国と救いの教えを信仰します。

◆仏教の「仏」とキリスト教の「神」の違い

 キリスト教等では、神が人間を含めた世界を作ったと説きます。つまり、一方に創造主である神がいて、作られるものとして人間が存在しています。そして、神に救いを求めることはできても、人間は神にはなれず、神になる道も説かれません。

 しかし、仏教ではそうした創造主のような神を説きません。全ては因縁果報によって存在し、仏と人間とにおいても本質的に別のものではなく、一体になれると説きます。人間の中にも仏と同じ性質(仏性)を内包しており、菩薩行を実践して迷いから抜け出すことができます。法(妙法)の自覚、信仰が、「悟り(成仏)」とも言えます。仏教は、人間自身の生き方を、人間自身に根ざして追求する信仰とも言えます。

◆聖書とは

 聖書とは、ユダヤ、キリスト、イスラム教という三宗教が拠り所とする聖典で、神の言葉が書かれたとされる本のこと。キリスト教では、聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」から成ります。「約」とは「約束」のことであり、神と人間との「契約」のことを指します。

「旧約聖書」は、古代イスラエル民族の信仰、ユダヤ教の聖典(ただし、ユダヤ教では「旧約」とは言わない)で、イエスの誕生前の神の救いの働きを、神が自分の救いの業の証人として選んだイスラエルの民の歴史的体験をとおして綴られたものとされます。

「新約聖書」とは、イスラエルのベツレヘムで誕生したとされる、救世主(キリスト)としてのイエスの説教を弟子たちがまとめたもので、手紙や勧告、伝承などを編集したもの。「新約」とは、神との契約が、イエスの登場で新たに結び直された、という意味です。

◆ユダヤ教とキリスト教の関係

 古代から伝わるイスラエル民族の宗教をユダヤ教と呼びます。ユダヤ教にとっては、聖書といえばキリスト教で言う「旧約聖書」が全てです。旧約聖書には、救世主の誕生が預言されており、キリスト教徒はイエスが救世主であると信じていますが、ユダヤ教では、イエスを救い主とは認めず、預言者の一人とする程度で、十字架に磔にされる原因を作った程です。その後、愛と寛容を説き爆発的に広まったキリスト教に対し、あくまで旧約聖書を厳格に守ろうとしたユダヤ教徒は、遂に国土を失い、世界に離散することになります。しかし、それがかえって神に選ばれた民族という思想を頑ななものとし、その後の苦難の歴史を招くことにもなります。

◆イスラム教とは

 イスラム教は、ムハンマド(マホメット)が開いた宗教です。

 ムハンマドはアラビア半島のメッカに生まれ、やがて彼はメッカの近くのヒラー山の洞窟にこもり瞑想にふけるようになります。そうして彼は神「アッラー」の使徒であるとの啓示を受け、その啓示を「コーラン」に記しました。ここで最も強調されているのは「唯一神」という点です。アッラーはこの世界を創った全知全能の神。悪人に罰、悔い改める者を許す神。人間はこの神にすがる他には救われる道はない、とされます。

 イスラムの教義によれば、神は人類救済の為に預言者としてモーゼ、キリストをこの世に下したが、ムハマンドはそれらの預言者のうち最後にして最高の預言者である、とされています。イスラム教では、「コーラン」以前にアッラーが人類に与えた聖典として「旧約聖書」を含めており、また神の言葉を伝える預言者は、ムハンマド以前には、ノア、アブラハム、モーゼ、イエスの五者が数えられています。

 つまり、俯瞰的に見れば、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教は、同じ聖典を含みあい、同じ絶対神を崇める宗教だと分かります。

◆旧約聖書に見える戦いの遺伝子

 旧約聖書には、神に選ばれた民族という選民思想が根底にあり、また旧約聖書の「ヨシュア記」は別名「カナン征服記」とも言われ、イスラエルの民がモーゼの後継者ヨシュアの指揮のもと、約束の地「カナン」(現代のパレスチナ地方)を、勇猛果敢に取得した(侵略した)という物語です。カナンとは、神がアブラハムに「このカナンの全ての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼ら(子孫)の神となる」(創世記)と約束をされた土地であり、そこで元々カナンに住んでいた民族は「息のある者は、一人も生かしておいてはならない」(ヨシュア記)という程の激しい侵略戦争が繰り広げられたと説かれています。

 随うものは救い、逆らうものは殺してもよいという、独りよがりの恐ろしい存在が、聖書に示されてきた「神」であります。愛と寛容とは真逆に位置しています。

 神が殺人や戦争や略奪を命じる。こうしたある種の恐ろしい「遺伝子」を内包する宗教や信仰が台頭する限り、戦争や侵略を繰り返す歴史が終わることはないでしょう。

 真実の仏教に出会えば、気づく筈です。戦争は絶対に起きません。仏教では、「怨みは怨みをもっては、ついに休息を得べからず」と、戦渦を繰り返す民族に説かれています。

 今こそ仏教の真髄・佛立信仰を広く説き示し、真の人間のあるべき道、世の中の道理を伝え弘めなければならないと感得します。




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