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10年間の鬱病(うつ病)から生まれ変わりました

森田麻子さん


 ありがとうございます。唱題寺所属の森田麻子と申します。私は平成13年に入信し、現在入信2年目になります(平成15年現在)。私は21歳の時、愛する人の死をきっかけに、精神的な病気になり、家庭内別居、引きこもり、うつ病による過食症、拒食症の繰り返しと、急性アルコール中毒など、それからの私は何事にも無気力で無関心。何のために生きているのかも分からないような人生だったと思います。いつも死ぬことばかりを考えていました。そして、人間不信でもあった私は、心を開いて話せる友達すらいなかった、というより、作ろうとしていなかったと言った方が正しいかも知れません。

 平成13年、次女の幼稚園入園をきっかけに、竹村久美子さん(堅裕師の奥様)と出会い、いつも心を閉ざしていた私が、なぜか自ら自分が精神病であるということを打ち明け、こんな自分を受け入れてもらいたい、という気持ちが起こり始めたのです。その後、久美子さんから「私の主人はすぐ隣の唱題寺のお坊さんをしているの。もし良かったら一度会って話しをしてみて。きっと病気が治るから」と何度も誘われ、私は半信半疑でしたが、ずっと自分が背負ってきたもの、心の中に閉ざしていたもの、この心の扉を開くことができるなら、と思いお講師に会ってみることにしました。そして、私の両親も、この地獄のような生活から脱出できるならと、ワラをもつかむ思いで入信をしました。

 入信してすぐに、両親は朝参詣を始めました。私はそれでも、心のどこかで「十年以上も病院に通っていて治らなかった病気が、今さら治るわけがない」と御法さまを信じきれませんでした。あげくの果てには、勧められて初めてお参りしたお総講で、大勢の人がみんなで膝を叩き、声を合わせて「南無妙法蓮華経」と御題目を唱えている光景を目にして、「この人たちはみんな狂っている」とさえ思ってしまったのです。そう思いながらも、幼稚園の送り迎えの時には、教化親の久美子さんとお寺にお参りをして一緒に御題目を唱えていました。度々自宅へお助行にも来てくれました。百本祈願のときも一生懸命応援をしてくれました。しかし、その行為を裏切るような心が私に涌いてきてしまいました。百本祈願では、御法さまのお力で心にずっと引きずっていた過去のものを洗い流していただくことができたのに、幼稚園の他のお友達に、「何でお寺なんか行っているの? 神様とかって信じないわけじゃないけど、結局自分の考えが一番大事なんじゃないの?」と言われ、その言葉に心は大きく揺れてしまい、お寺にお参りすることも、御題目を唱えることも、めんどくさい、いやだと、それから徐々に久美子さんのことも避けるようになってしまったのです。そのあげくに、自分の力だけで生きていこうとした私は、精神病院の入退院を繰り返し、度重なる自殺行為の果てには、バファリンを320錠も服用するという、家族も含め、壮絶な日々となりました。

 堕ちるところまで堕ちて、やっと私は「御法さまのお力が必要です。どうか私を助けてください」とお縋りする気持ちが涌いてきたのです。そしてそれからは、今までと全然違う気持ちで、必死に御題目を唱えられるようになりました。それまでは、「精神病になったことのないお講師に、私の気持ちが分かるわけない」と心のどこかで思っていたのですが、御題目を通じてお講師の必死な誠意を感じたのと同時に、「そうだ、御法さまを信じるように、お講師のことを信じて、お講師がおっしゃることなら頑張ってやってみよう」と思い、気持ちを改めて生活を立て直していきました。人が当たり前に送っている生活リズムが私にとっては戦いでした。しかし、みんなの御題目の応援に助けられ、励まされて御法さまに必死にお縋りし、御題目を唱え続けることができたのです。私は10年以上苦しんだ「うつ病」という心の病から這い上がることができたのです。

 夢のようでした。生まれ変わった世界、御法さまが私にくださった世界は、暗闇からパッと輝いた扉が開き、雲ひとつない青空一面に南無妙法蓮華経と描かれているような、そんなすばらしいものに感じられるくらい、自分でも信じられないほど、私の心は生まれ変わることができました。御法さまをお敬いする気持ちが深まるとともに、お講師に対しても、それまでは学校の先生のような感覚でしたが、今では仏さまにお仕えする方なのだと、尊敬とお敬いの気持ちに変わりました。御講師方のお言葉を日々ありがたく頂戴し、できる限り精一杯ご奉公させていただきたいと思っております。

 病気も治り、仕事を探す際に、「福祉などの人のお役に立てる仕事に就きなさい」というお講師の勧めから、色々当たってはみたものの、学歴も資格もない私を必要としてくれる職場もなく、ラーメン屋で働くことになりました。しかし、人のお役に立ちたい、という思いを胸に御題目を唱えていると、「そうだ、私には学歴や資格より、もっと大切なもの、それは御法さま、御法さまがいらっしゃる。助けていただいた私が、今度は御法のお力を通じて、人助けができるんじゃないかな?」という気持ちでいっぱいになり、ちょうどその頃、知人から経済的なことや、商売のことで相談を受けていたので、私はお教化させていただこうと何度となく「一緒にお寺参りをしましょう」とお誘いしましたが、「うちの父ちゃんはお神輿を担ぐ祭り男だから」と首を縦には振ってもらえず、あっさりと断られたり、また、家族がリュウマチやガンを患っているという職場の男性にも、「絶対に良くなるから」と、お供水さんをお勧めしたのですが、私が恋愛感情でしていると受け止められてしまい、「二人で食事でもしよう」と、度々誘われるようになってしまいました。私は色々と悩み、お教化に対して迷いが生じ、中途半端になって、挫折してしまいそうになりました。お講師に相談したところ、「これ以上お寺のことを言うと、人間関係が壊れてしまうのでは、という迷いを捨て、御宝前のお力を頂き、真心で人助けをご祈願し続けることが大切」ということに気付かせていただきました。

 私は本当に困っている人、御法さまを必要としている人をお教化させていただこうと思い直し、直後に始まった今年の夏期参詣では、そのことだけを心に毎日必死に御題目を唱えました。すると、現証が現れたのです。ある朝、従業員の佐伯さんという方と一緒に仕事に入ると、突然、「麻子さん、お寺に通っているんだって? どうして? お寺ってどういう所なの?」と私からお寺の話を持ちかけるどころか、向こうからお寺のことをどんどん聞いてきたので、私も自分が頂いたご利益の話をしました。すると、佐伯さんは、長年悩み続けていた、対人恐怖症で病院にも怖くて行けずに辛い思いをしてきたことを話してくださり、「もうこんな生活を続けるのはいやなんだ、やっと俺の気持ちを分かってくれる人に出会えたよ。麻子さんがこのラーメン屋に来て、出会えたことに運命を感じる。麻子さんのしているご信心なら俺もやりたい」とまで言ってくれました。私が探していた「御法さまのお力を必要とする人」が、相手からお寺に連れて行ってほしい、お講師に会いたいと、話を持ちかけてきたのです。すぐにお講師に会っていただきました。私は、宗教に偏見を持っていた佐伯さんの奥さんのことが気がかりでしたが、奥さんのリエさんも会ってみるとすごく良い方で、理解をしていただくことができました。私はこのご夫婦に、御法のお力で絶対に幸せになってもらいたい、なってもらうんだ、と強く決心しました。するとどうでしょう。佐伯さん夫婦と私の気持ちが御法さまに届いたのか、佐伯さんは、御本尊をおまつりした「その日」に現証が現れ、今まで奥さんにさえ普通の状態で接することができずに誤魔化していた自分と、その日を境に「おさらば」することができ、本当の自分で人と接することができるようになるという、お金では買えない、すばらしい御利益を頂くことができたのです。佐伯さんは、御題目とお供水さんで精神を保たせていただくことができ、表情まで穏やかに変わってきました。

 佐伯さんが救われたことで、私もまた救われました。私が苦しんだ10年以上の地獄のような日々は、私の人生の中で無駄な時間ではなかのだと思わせてくれました。私が心の病で苦しんだだけ、心の病で苦しんでいる人の気持ちを分かってあげることができ、「自分が自分でなくなってしまうこと」の辛さを理解してあげられるのだと。自分が幸せになれたことで、今まで自分のことだけで精一杯だった私が、今では、人の幸せを願い、助けてあげることのできる喜びを感じることができたのです。教化をして人を救うということは簡単なことではありません。精神的にも体力的にも辛いことがたくさんありました。それを御法さまのお力を頂いて、「乗り越えてこそ」の喜びと言えるのでしょう。

 自分さえよければと言う今の世の中で、この本門佛立宗のご信心は、全ての人に必要なご信心だと思います。私のように、不幸に定まった運命を変える力のある御題目です。私は様々な体験の中で、どんな願いも、そしてお教化も、全ては御法さまの経力を信じ、ひたすらお縋りして御題目を唱え続けると叶えていただけるんだという、そんなすばらしい喜びの種を、一人でも多くの方にまき続けていきたいと願っております。

 ありがとうございます。