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「縁」について


 神戸の須磨にあります香風寺から参りました福岡でございます。こちらの御住職のバイタリティーに引き寄せられまして、私と家内、又イタリアからも四人、今日は押し掛けて参りました。

 こちらの御住職とは色々なご縁を頂いておりまして、今日こうして御会式を勤めさせていただくことになりましたが、今日は「縁」についてお話しいたします。

 人間というのは人と人との間と書きますわな。この人と人の間をつなぐものが「縁」というものです。皆さん一人一人が誰とどんなふうに縁を結ぶか、これは皆さんが「何を発信するか」によって決まるんです。じ〜っと手をこまねいてる人はいい縁は生まれません。「こだま」ってありまっしゃろ、新幹線やなしにあの山のね。こちらからオーイっていわないと帰ってこない。だから「自分の方から発信する」ということが大事です。

●海外弘通の始まり

 長松清潤師との縁は、前から色々なご縁を頂いておったのですが、ちょうど九年前の平成七年に阪神大震災がありました。震度七ですわ。うちではテレビが三メートル飛んでましたわ。信者さんの中には高層二十何階建てにおられる方がありましてな、揺れた瞬間パッと目を開けたらね、目の前にタンスがあったちゅうんですよ。タンスが頭の上を飛んでる途中やったんです。あるいは玄関にサンマが落ちてたって言うんですな。何でかいうと、地震のとき冷蔵庫がパーンって開いてサンマが滑り落ちて廊下スーって滑って、玄関まで行ったゆうてね。そういう揺れ方ですわ。そのとき六千人の方が亡くなりました。この六千人の方たちの霊を慰めるという意味もあって、神戸で何十万という電球で道を飾るルミナリエというものが始まったんです。ちょうどその年の十二月に長松師が私の所へ会いに来てくれはったんですよ、大事な話がある言うて。で、「取りあえずルミナリエ見に行こう」って言ったんですが「それどころじゃ無いんです」というんです。

 その少し前、私は何とか世界に佛立宗の素晴らしさを発信したいということで、佛立宗の教えを英語に翻訳する作業をしておりました。なぜそういうこと始めたかといいますと、三十年くらい前に、アメリカの東海岸の方をウロウロしてたんですが、そのときに向こうの学校関係の方から「お前さん坊さんやったら、仏教の話しをしてくれ」と言われたんです。ところが私はそのとき英語で仏教のことを何一つまともに語ることができなかった。そのときの悔しさ、残念さ。これは何とか英語できちっと佛立宗のご信心をお伝えしなかったら「一天四海皆帰妙法」なんて言葉だけになってしまう、そうゆう思いで、十年前にやっと英語のパンフレットを出したんですが、それでも中々世界の方に届きませんわね。そのときに清潤師が来まして「インターネットやりましょう。御導師のパンフレットを載せさせてください」ということで、ホームページを開くことになったんです。だから福岡日雙と長松清潤という絶妙のコンビによってですな、海外のご弘通が大きく飛躍したとゆうことで、どちらが欠けてもあかんかった訳ですわ。そうゆうご縁があるっちゅうことなんです。そしてホームページが できた翌年の平成十年一月頃から世界中のあっちこっちから色んな問い合わせがあって、それが発端でイタリア、アメリカ、イギリス、あるいはスリランカにご弘通の種ができていきました。だけどインターネットは単なる切っ掛けですから、やっぱり実際に行って直に会わなければご弘通はできません。そうゆうことでそれ以来あっちこっち外国を走り回るようになったわけです。

●「一念三千」の教え

 日本でも去年あたりから仏教ブームで、仏教書がよく売れるようになりました。これは欧米からの流れで、ヨーロッパとかアメリカでは二十年前位から仏教に関心を持つ人が非常に増えました。特に科学者や物理学者、ニューサイエンスと呼ばれるような分野の人たちが仏教に出逢いますと、二千五・六百年もの昔に何でこんなことが分かったんだろう、仏教は凄い、そういう興味から仏教に入ってくるんです。これはやっぱりもう佛立宗の出番やなと思うんですよね。佛立宗というのは仏教の最高峰の法華経の教えを頂いております。この法華経の教えというのは、本当に深遠な教えなのですが、その中でも特に核になるのが「一念三千」という教えなんですね。「一念」というのは皆さんの心ですわ。「三千」というのは全世界ということ。つまり皆さんの心の中には全世界のあらゆる情報が備わっているという考え方なんですね。だから世界の色んな人、色んな出来事と繋がっているということなんです。そうゆう教えというものが今の科学の教えとまったく矛盾しません。

 妙深寺報の三月号に岡田和喜さんが遺伝子工学の話を書かれていましたね。皆さんの身体は六十兆の細胞でできていて、その細胞の一つ一つの中に遺伝子があり、その遺伝子には、文字にすると一千ページの本一千冊分の情報が入っている。その六十兆倍の情報が皆さんの身体には備わっているということなんですね。まさにこれ一念三千なんですね。あるいはカール・ユングという人は、私たちの心の奥には人類が始まってから今日まで、あらゆる人類の全ての経験が心の中に備わっていると言ってます。仏教ではアラヤ識というふうに言いますがね。赤ちゃんはお腹の中の十ヶ月の間に、海の大海の微生物から人間まで、何十万年何百万年とかかった進化の過程を再現するんやそうですね。なぜそうゆうことができるかといいますと、そういう情報が備わっているからです。そうゆうことを一念三千といいます。

●幸せになるヒケツ

 大事なことはこの「一念」です。皆さんの心がどういう一念に切り替わるかが問題なんです。良い方に切り替われば、良い出来事や人と出会っていきます。悪い一念に替わりますと、悪い出来事を引きつけてしまいます。だからこの一念というのが大事で、この一念を良いように作り替えていくのがご信心なんですね。

 具体的には、やはり物事を考えたり受け止めるときに、プラス思考をすることです。否定的な言葉を出したら駄目なんですよ。自分でしゃべっていることは一番自分が聞いてるんです。「私みたいなもん」とか、「どうせ私なんか」とか、そうゆうこと言うとそうなってしまうんです。そうではなくて「自分はできる、段々良くなる」という肯定、プラス思考をすることです。

 それからイメージです。自分の人生、十年後、二十年後、自分はどうなってるか、良いようにイメージしなければ駄目なんです。二十年後、孫に囲まれ、みんなに大事にされながら、悠々自適の人生を送ると、そういうイメージしなければだめですわ。そう願いながら、実際は嫁さんにおしめ替えてもらいながらおしりつねられていたり、どうせうちの嫁はな面倒見てくれへんわな(笑)。そうイメージするとそうなってしまうんです。

 それから「感謝の心」ですね。開導聖人は「ありがとう存じますると口癖の様に申せ」とおっしゃいまして、何でも「お陰さんで」というふうな受け取り方をしなければ駄目です。人間はね、年取ると段々身体が曲がるわな、ほっといたら心も曲がるで。何でも歪んで取るんや、目が悪うなるし、耳も遠うなるから、猜疑心ちゅうのが起こってくるんやな。気をつけないかんです。ご信者さんでもね、色んな人おりまんねや。入院しはるでしょ。お見舞いに行って「おばあちゃん元気出しや」って励ましたら「元気だせたら、こんな所おりまっかいな」ゆうてね(笑)。それから「今晩は中秋の名月や。満月出るから、句の一つでも詠んだらどない? 退屈しのぎになるで」ってゆうたら、「月みたいなもん、明日も出ますわい」ってな、ほんとにもう憎たらしいのおりますわ。私も帰り際に「もうずーっとここにおんなさいな!」って言って(笑)。そんなふうに受け取る人は幸せになれへんわ。やっぱ、何でもありがとうお陰さんでっていう喜びせないかんわな。

●「御題目」という縁

 だけどね、ものの受け止め方、考え方だけではどうにもならんことがあるんですよ。それは自分の心の罪障とか、土地の悪い縁とか、先祖から背負ってきたもんとかね。これはやっぱり御宝前のお力を頂かんといかんです。御題目が一番大きな縁なんです。御題目との縁を強くする、それは「信」ですわ。「信の一念」によって御法とのご縁というものができたら、これはもう百万力です。そうゆうご縁を頂くために私たちはこうしてご信心をさせていただく。その一念から色んな素晴らしいご縁が生まれてくるということなんですね。

 それからもう一つは「共鳴」ですな。心と心との共鳴。人と人との共鳴。「感応道交哀愍納受」ゆうでしょ。人間の心は何とでも感応するんですよ。

 最近の研究でね、水の結晶を写真で写すことに成功したんです。まず同じ水をですね、二つのボトルに入れまして、一ヶ月間一方の水には「馬鹿野郎、阿呆、間抜け」ってずっと罵るわけです。もう一方の水には「ありがとう、ありがとう」って言うんです。そうやって一ヶ月後、同じ水の結晶を写真に撮ったら、「馬鹿野郎」と言い続けた方は結晶がものすごく見苦しい格好してて、「ありがとう」って言った方は綺麗な結晶になってる。水とゆうのは変わるんです。人の心が伝わるんです。だから御題目を唱えたお水はそこに御宝前のお力が入るんです。普通の水じゃなくなるんです。

 九州の日田別院というお寺に、浜野さんという教務さんがおられます。この方がですね、去年白血病になられたんです。遺伝的なもので、お医者さんは「これは医学的にはほとんど治りません。可能性としては抗ガン剤を投与したら、十人に一人位は効くかもわからん。それに骨髄移植をしたら三十人に一人位は助かる可能性がある」と。要するに三百分の一ですな。これは誰でも落ち込みますわな。ところがこの浜野さんはね、プラス思考で「三百人に一人でも確率があるんやったら、その一人になる。御宝前のお力を頂いたらなれます」っていうて、朝の五時になったら病院を抜け出してお寺に行くわけですわ。お寺に参ってお給仕してお看経あげて、また病院に帰ってくるわけです。それでお供水さんをたくさん持って帰ってきはるんですわ。自分でも一日六リットル頂く(飲む)。それから病院の部屋めぐりするわけですな。「医者では治らんからな、これ飲みや。これ仏さんのお薬や」ゆうて病院中お供水さんを配り回っているわけです。看護婦さんもお医者さんも「困ります」って怒りますが、浜野さんは「すいません、わかりました」ゆうてまた配って。そして自分のベットの上に御本尊をお掛けしてね、寝ててもずーっとお看経しているわけ。そうやって一年間闘病生活というか、お寺との往復ですわな。病院はお教化の場ですよ。結局入院中に三人お教化しました。それで治っちゃった。退院ですわ。それでその病院の婦長さんが門の外まで送ってきてね、「あなたが治ったのはあの魔法の水のお陰ですね」と。看護婦さんはわかっているわけですわ、あの水で助かったって。それでそのお医者さんの会議があって、あの人は祈って治ったと、祈りというものが大事だということで、病院にもそういう祈りをする場所を作ろうやないか、っていう提案が出たっちゅうんですね。

 お供水さんはやはり感応ですね。お私たちの信の一念によって、御題目が水をお供水さんにしてくださる。あるいは身体の中も変わっていく。身体の中であろうが何であろうが、全部ご縁なんですよ。私たちの心がそうゆうふうに御宝前を介して、色んな方との出逢いを作り、自分の身体を作りかえていくという、この教えを一念三千というんですね。そういう結構なご信心を私たちは頂いてるんです。でも皆さんの心、一念を、「信の一念」に、素直な「ありがたい」という心に切り替えていかなかったら、そうゆうお力を頂くことはできない。そのことを「信の一念に福の三千あり、悪の一念に悪の三千あり」と開導聖人はおっしゃっています。それが本門佛立宗の教えの核であります。

●良い縁を発信しよう

 どうぞ皆さんもご信心を通して、良い縁を作ろうとお励みください。その中から素晴らしい出逢いがあり、その素晴らしい出逢いがまた皆さんを人生をいい方向へと導いてくださる。私はイタリア、スリランカとのご縁を頂きましたが、皆さんだって、別にイタリアに行ってご奉公せんでもええんです。周りにあるんですよ、埋もれてるご縁がいくらでも。そのご縁は皆さんが発信しなければ、表に出てこないということで、今日からどうぞ、どこへ行っても自分のご縁をどうやって発信して、作っていけばいいかなってことに心掛けていただきたいと思います。


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