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《御教歌》
国のため わが家のため 身のためと  なるもみのりの 声のひびきに


 御題目をお唱えする声は、宇宙へ向けて放たれるバイブレーションです。そのバイブレーションは延々と広がり、私自身、私の家族、私たちの住む国や世界を幸せへと導いてくださる、と御題目口唱の大事をお教え下された御教歌でございます。

 私たちの修行の根幹、御題目口唱の大切さをあらためて感じさせていただく、考える、再確認する御教歌。この一点は外すことは出来ません。本日はお祖師さまのご命日にあわせた高祖会の奉修です。この御題目のご信心を教えて下さったのがお祖師さま。ですから、このお祖師さまの教えの根幹、「御題目の修行」「御題目口唱のご信心」ということを忘れたり、外したりして、私たちのご信心はありません。本日は、このことを再確認させていただきたいと思います。

 よく、お葬式で棺桶を覗き込んで、「良いホトケさんだね」とか「ウチの主人も迷わず成仏してもらいたいです」などと聞きます。みなさんもよくご存じのように、一般世間では死んだ人のことを「ホトケ」と呼んだりします。

 しかし、御仏の真の教えでは、人間が死んだからといって、誰でも「仏」に成る、「成仏」できるというわけではありません。まず、私たちは仏教徒、特に真実の仏教、本門佛立宗のご信者ですから、この「仏」とか「成仏」ということを知ることが大切です。

 本当の意味での「成仏」とは、インドの古代語であるサンスクリット語の「ブッダ(Buddha)」が語源です。この「ブッダ」とは、直訳すると「覚者(目覚める者)」、つまり長い修行の結果、真理を証得した方、真理を知って悟りの境地に至った方のことです。

 ですから、「成仏」とか「ホトケになる」ということは、長い修行によって悟りの境地や世界に到達するということ。そう考えると、死んだ人を「ホトケさん」とか「成仏した」ということは大きな間違いということになります。

 では、その成仏とは何であるかをもう少し深く考えてみますと、お釈迦さまのように特別な才能や超人的な能力をもっている人ならまだしも、私たちのような現代社会に生きている、誘惑や迷いの多い人間たちにとっては、とても遠い、無縁の世界のように感じます。

 ところが、御仏はインドの霊鷲山という場所で、般若経を説かれた後、最晩年の八年間に、万を辞して説かれた法華経という御経文の中で、誰もが出来る、特に二千年後の私たちにとって最適の、肝心要の修行、御法門を説かれた。日蓮聖人は、凡夫が凡夫なりに到達することの出来る「悟りの境地」、成仏の方法があることを法華経から開示して、私たちに授けてくださいました。それが、本門八品所顕上行所伝本因下種の御題目のご信心、御題目をお唱えするご信心・修行です。

 「国のため わが家のため 身のためと なるもみのりの 声のひびきに」

 結局、悟りの境地というのは、私たちのようにこの世に生まれてきて、色々な楽しいことも哀しいことも、淋しいことも嬉しいことも苦しいことも感じて生きている人間が、私たちの住むこの宇宙や世界の姿、自分の生き方や人生の終わりや始まりについての本当の姿を知ることです。ちょっと間違うと、「成仏すると悟り澄ました姿」「止まっているような姿」「極楽のような世界に生まれて、のんびりと暮らす」ということを思い浮かべる人がいますが、そうではない。もっと身近で、もっともっとごく自然のもの。

 お釈迦様の悟り。それは言葉には表現のしようがありません。それは宇宙そのものだからです。法華経にも「言辞の相、寂滅せり」と説かれておりまして、その中身を言葉に翻訳することが出来ない。しかし、その核を名付けて「妙法」と言う。「妙法」です。偉い人には偉い人が、この「妙法」に近づく方法が示されていますが、この時代、末法という二千年後の世界に住む私たちには、仏様の命、宇宙の命が全て含まれている御題目を信じ、口に唱えることによって、その仏様のお徳やお力、宇宙のいのちを、自分の心の中に、身体の中に吸収していくことができる、と教えて下さった。それがお祖師さま、日蓮聖人です。

 ですから、自爆テロをしたから処女の人が待っている天国に行けるとか、西方極楽浄土に生まれるとか、そういうことが成仏ではなく、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経とお唱えさせていただくことによって、この大宇宙の根源にある究極的な命と直結し、フラフラと、グラグラとこの世界で生きているのではなく、しっかりと目覚め、根を下ろした存在になる、ということが成仏ということ。これが私たちの目標です。つまり、これは御題目口唱という修行、ご信心という心、それを活かした人生でなければ到達することは出来ません。全く死んだ人を「ホトケ」ということとは程遠いのです。

 御題目をお唱えすることが出来るということ。お唱えするということ。それは、自分自身の心の奥底に含まれている尊さ、豊かさを目覚めさせることになります。与えられた命を自分のためだけではなく、人の為にも生きることが出来るようになることです。「目覚めた者」がブッダということですから、「ご信心を活かす」ということさえ出来れば、全く今まで生きてきた人生、見てきた風景、感じてきたものとは違う生き方が出来るようになる。それは全て御題目をお唱えするというご信心から始まります。

 「国のため わが家のため 身のためと なるもみのりの 声のひびきに」

 この御教歌の最後に「声のひびきに」とあります。

 「ひびき」。この言葉の意味は、「当たり一面に伝わる、広がる。振動」という意味です。英語では「バイブレーション」という言葉が当てはまります。バイブレーション。振動です。

 御題目をお唱えする声。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経という御題目の声は、たとえば今日も窓を揺らし、音が伝わるということは空気が振動している。その振動は、実は消えることはありません。人間の耳では限界がありますが、今日の私たちの御題目も、御本尊にバイブレーションしてビリビリと伝わっています。隣の人の耳にも、心にもバイブレーションは伝わっています。天上にも、本堂の床にも、振動が伝わっています。窓から漏れた御題目のバイブレーションは、遠く隣の山、近所の家々、いや人間の耳には聞こえなくても小さくなりながらも窓から見えるベイブリッジにも、海の上、太平洋を渡ってアメリカにも、韓国にも、中国にも、インドにも、イスラエルにも、ヨーロッパにも、遠くに、遠くに伝わっています。いや、バイブレーション、振動ですから、今日ここでお唱えした御題目も、昨日一人でお看経した御題目も、大気圏を超え、宇宙にまで広がっている。そうです。それが本門佛立宗の教え、お祖師さまの御法門、究極の、真実の仏教の悟りの御法門です。唯一成仏の法。

 「すべては、声の響きに」「すべては御題目口唱のバイブレーションによって」

 「国のため わが家のため 身のためと なるもみのりの 声のひびきに」

 この御教歌の御意は、ここにあります。このことを知り、このことを実践することが本門佛立宗のご信者で、このバイブレーションを日夜に巻き起こすことで、自分が変わり、人生が変わり、家族が変わり、友人が、恋人が、嫌いな人、憎んでいる人、恨んでいる人が変わり、この国が、世界が、宇宙が、豊かに、素敵に、素晴らしく変わる。これは、実際にさせていただけば、誰もが実感できることです。

 私は、昨日スリランカとインドから帰ってきました。春の御会式にお出ましいただいた福岡御導師の随伴でした。アメリカ、イタリア、インド、スリランカで、御導師は想像を絶する素晴らしいご奉公をされており、心の底から感動しました。スリランカでは、二百名の方が私たちを待っていてくださり、山の上で御講を奉修しました。極貧の、本当に貧しい村の人たちです。小乗仏教を信じている人たちですが、そのお坊さんまでが法華経の教えの素晴らしさを実感して参詣しておられました。その山の上で、私もスピーチをすることが出来て、本当に嬉しく思いました。英語で話をして、通訳の人が語りかけ、最後は座っていた人が立ち上がって、前に出てきて聞いてくれました。私にとっては最高の経験でした。

 そして、そこからインドに渡り、お釈迦様が法華経を説かれた霊鷲山、ラージギルに行きました。スリランカで福岡御導師にお教化された方でミランダさんという方がおられます。寺報でも一度紹介させていただきましたが、この方はスリランカ国立病院のドクターで、博士号を持っておられます。小乗仏教の限界を感じ、大乗仏教に興味を持ち、創価学会や立正佼正会などを転々としたけれども、創価学会はお釈迦様を置き去りにして日蓮聖人を本仏だという、あるいは池田会長をお釈迦様のように敬うという点でどうしても納得できず、本門佛立宗に出会って、そのまま入信。今やスリランカやインドの一番のリーダーです。とにかく、ご信心に随喜しておられる。

 そのミランダさんがお教化したのがラジさんという女性。この方は、国立病院で乳ガンの診断をされた。その時に担当医であるミランダさんがご信心の話をされた。自分の家まで呼んで、二人で一晩中御題目をお唱えしたそうです。次の診断の時には癌が消えていたという大変な御利益を通じて入信された方。そのラジさんの実家がインドだった。ヒンドゥー教で生まれ育って、スリランカの方と結婚して小乗仏教の国に来た。もともとはカースト制の中でも大変な名家の出で、台所に立ったこともなかったという方なのですが、違和感を感じつつ宗教もなかったところに、この御利益。そしてミランダさんから「あなたにはインドに仏教を戻し、プロパゲイション、ご弘通をする使命がある」と言われて、今回の霊鷲山の御講ということになりました。

 到着した日の夕方、現地の方々を集めて早速御講が奉修されることになりました。天上がすっぽりと開いた煉瓦づくりのホールに、続々と現地のスリランカよりも極めて貧しい人たち、病気の人、腕の固まった人、眼が一つ無くなっている人などが集まってこられました。その人たちがホールに入ってすぐに、ミランダさんがみんなの方を向いて「ナムミョーホーレンゲキョー、レッツチャント、ナムミョーホーレンゲキョー」と指導を始める。スリランカとインドでも、言葉も通じない。でも、伝えている。

 そして、福岡御導師が約三十人の現地の人の前で御法門をされました。分かりやすく、本当に丁寧に。御題目が仏教の真髄で、誰でも出来る修行であること。そして、ラジさんも自分の体験を語り、みんなで貧しくても、苦しくても、病気でも、御題目をお唱えすることから始めよう、ということになりました。その話を、「ウン、ウン」と真剣に聞いている姿。

 みんなで御題目をお唱えしました。これは大変なことです。西暦一三〇〇年頃にインドでは仏教が滅亡しました。ちょうどその頃にお祖師さまが日本に生まれられ、そして七五〇年を経過して上行所伝の御題目が霊鷲山に戻った。その御講の前に、現地で日本山妙法寺という日本の宗教団体のお坊さんが尋ねてこられ、福岡御導師と話をされていました。聞いたところ、「現地の人への教化はどうなんですか?」と聞くと、「三十年間ここに住んでいますが、この土地の人はヒンドゥー教ですから」というだけ。一人も現地の人を救うことにはなっていない。みんな観光旅行でここを訪れるだけです。それが今回は全く違う。

 御題目は天上を伝わって空に響いていました。みんな両手で拍手するように、「パンパン」と手を叩きながら御題目をお唱えしました。次の日の霊鷲山の頂上でも同じように現地の人たちも集まって、みんなで御題目をお唱えしました。私は、あまりに感動をして、泣き出してしまいました。本当に感動しました。御題目のバイブレーションが伝わっていることを感じたからです。

 ご存じの方もいると思いますが、街を歩くと今にも死にそうな子供たちが物乞いをしてきます。残念なことに、インドの中でも、ブッダにゆかりのあるビハール州というこの州が一番腐敗していて悲惨な状況だそうです。仏教が説かれた場所で、仏教を捨てた場所。スリランカより数段悲惨だそうです。スリランカには物乞いはいません。本当に今にでも死にそうな子供たちです。現地の方々が言うには、物乞いをしている子供は必ずマフィアになる。マフィアにならなければ政治家には成れない。この国は益々悪くなる、と。

 お祖師さまは、立正安国論で金光明経を引かれてお諭しです。

 「金光明経に云く「其国土に於て此経有りと雖も、未だ嘗(かつ)て流布せず、捨離の心を生して聴聞せんことを楽(ねが)はず、亦供養し、尊重し、讃歎せず。四部の衆、持経の人を見ても、亦(また)復(また)尊重し、乃至供養すること能はず。遂に我等及び余の眷属、無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ず、甘露の味に背き、正法の流を失ひ、威光及び勢力有ること無からしめ、悪趣を増長し、人天を損減し、生死の河に墜ち、涅槃の路に乖(そむ)かん。世尊、我等四王並に諸の眷属及び薬叉(やしゃ)等、斯の如き事を見て、其国土を捨てゝ、擁護の心無けん。但だ我等のみ是の王を捨棄(しゃき)するにあらず。必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも、皆悉く捨去(しゃこ)せん。既に捨離(しゃり)し已(おわ)りなば、其の国は当に種々の災禍有て、国位を喪失すべし。一切の人(にん)衆(しゅう)、皆善心無く、唯繋縛(けいばく)、殺害、瞋諍(しんじょう)のみ有りて、互に相(あい)讒諂(ざんてん)し、枉(まげ)て無辜(むこ)に及ぼさん。」(縮三七四)

少々長い御妙判ですが、まさにこの御経文、御妙判の通りを目の当たりにしました。決して、日本が素晴らしいとは言えません。日本の方が悲惨で、実は苦しんだり、迷ったりしている人が多いのかもしれません。彼らの眼は純粋で、本当に綺麗でした。日本の人の方が汚れて、濁っているのかもしれません。人間の苦しみは、どの国に於いても消え果てることはありません。

 しかし、この霊鷲山での御題目が終わった後、ミランダさんが興奮して仰っていました。「バイブレーションを感じた?」と。いつもミランダさんは「バイブレーション」という言葉を言う。「私たちの御題目が空に昇っていった。この国に広がっていったわ」「きっと、この国でもプロバゲーション、ご弘通が出来る。きっと、みんな幸せになるわ」と。明確な計算とか、算段、戦略があるわけではありませんが、御題目のバイブレーションによって、この国も、この人たちも、子供から奥さん、家族の人たちが絶対に幸せになると確信しているミランダさんの言葉。まさに、この御教歌の通りなのです。

 家族が健康でいてくれること。自分が健康でいること。自分の夢、自分の御願いが叶うこと。私たちは誰でもこうした「祈り」を持っています。ミランダさんは最近「STAY IN THE LIGHT(光の中に)」という本を出版されました。御題目口唱を科学的な側面から図解を交えて紹介している。御題目のバイブレーションが宇宙・世界に伝わるということ。そして、自分の心の奥底、細胞の隅々まで届き、素晴らしい効果をあげるということを紹介している。大変に随喜されて、これをヒンドゥー語、フランス語、ドイツ語、日本語に翻訳して紹介したいと言われている。素晴らしいことです。御題目口唱の一点に、ここまで随喜されている。

 さて、日本にいる私たち。裕福な国。佛立宗に縁はあっても、世代も変わり、ご信心も永くなると、このバイブレーションを知らなかったり、出来なかったり、勘違いをした信心修行になってしまいます。そうすると、「ホトケ、ホットケ」で、成仏の意味も、「仏に成る」という方法も知らずに、この世界に根を下ろしていない、自分の存在も、宇宙との繋がりも分からず、勝手に生きてる迷いの深い人、ということで一生を終えてしまいます。「それでも良い」と強情を張ることも出来ますが、それでは勿体ない。ご信心を活かして、人生をより素敵に、素晴らしく変えていくことが出来る。それはご信心、御題目口唱です。

 御題目がバイブレーション(振動)して御宝前から宇宙法界に広がります。それが本門の教え。本物の仏教の教え。毎日の、その一遍一遍の御題目口唱がバイブレーションとなって、宇宙に広がるとするならば、みなさん一人一人の心、家族の心、隣の人の心、今は離れてしまった人の心、今はまだ出会っていない人の心まで届いているはずです。それが御題目口唱の意義です。御祈願は、その御題目口唱のバイブレーションが自分や自分以外の人に伝わって、カルマや罪障、運命を変えることから訪れます。焦らず、ただバイブレーションをさせることを考え、そこから始めなければ成長も、幸せもありません。

 「国のため わが家のため 身のためと なるもみのりの 声のひびきに」

 一人一人、自分自身のためにも、私の家族のためにも、私たちの住む国や世界のためにも、御題目口唱の大切さを忘れず、日夜に御法さまの声のバイブレーションを忘れては始まりません。御利益感得のためにも、出来ていない人はする、出来ている人もバイブレーションを忘れず、とにかく御題目口唱に悦んでさせていただくことが大切と、感得させていただく御教歌で御座います。




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