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スマトラ沖地震・HBSスリランカ・津波被害緊急支援室

HBSスリランカ第二次支援活動報告(2005年3月4日〜9日)


  《スリランカでの日程の詳細と活動報告》


◆ 3/4         

11:30 成田空港を出発(14:30)

朝窓を開け、一面の雪の世界に、出発が出来るのか懸念されつつ、早朝6時半、妙深寺を出発。横浜駅で妙深寺組合流し、成田空港にて清啓寺と乗泉寺の方々と合流いたしました。

結局成田からは、雪のため3時間遅れての出発となりました。その間飛行機内で待機となり、早朝に自宅を出てきた一行は、朝ご飯も食べず、またお昼ご飯にもありつけず、空腹のまま待たされました。また飛行機はエンジンも切った状態で、少々熱く、乗客員は外にも出られない状態で、大変苛立っていましたが、何とか出発にこぎ着けました。


18:50 シンガポール着(以下現地時間)

福岡御導師組と合流し、飛行機が遅れていたこともあり、早速自己紹介と御導師からスリランカの行程説明を簡単にいただき、すぐさまスリランカ行きの飛行機に搭乗。無事にシンガポールを出発しました。 


◆ 3/5         

00:20 コロンボ空港到着

深夜の到着後、入国審査を受ける。ここで持参したプリンター、DVDが審査でひっかかり関税を支払うことになってしまいました。

02:30 ホテル着

スリランカ首都のコロンボにあるプラザホテルに、深夜のチェックイン。以後支援活動中、このホテルを拠点にご奉公をさせていただきました。

09:00 現地テレビ局取材

ホテルで仮眠を撮った後、スリランカの信徒、シャンタペレラさんとウィジェセキェラさんがホテルまで迎えに来てくださり、この日一日の行程を説明してくださいました。その後8時にホテルを出て、現地のテレビ局へ向かいました。この目的は、「日本から来られた仏教団体・本門佛立宗(HBS)の災害支援活動を紹介する」というもので、小さなテレビ局でしたが大変な歓迎を受け、インタビューの取材に対して福岡御導師が英語で今回の目的と活動内容をお話しされ、また被災者への支援金を同局を通して直接手渡しをされました。

今回の支援活動には、妙深寺のボーイスカウト・ガールスカウト・青年会員の方々が参加され、それぞれに制服を着て活動をしてくださり、その姿で出演し、この日の夜のニュース番組にて紹介・放送されました。(夜現地のご信者方がたくさん放送を見られ、「映っていたわよ!」と嬉しそうに教えてくれました)

  
<スワルナワヒニ・テレビ局でのインタビュー>

13:30 書店にて被災者へ贈る書籍の購入

ゴダケ書店という大変大きな本屋にて、被害のひどかった小学校の子供達にプレゼントする教科書2種類を100名分購入(この教科書は英文法の本で、現地のシーハラ語で書かれていて人気があるとか)。また、この書店自身も被災した小学校の為に図書館を作っているところでもあり、その支援の資金を贈呈しました。

15:00 政府の社会福祉省役員との面談

スリランカは、九州と北海道の間ほどの面積で、人口が約2000万人。大変交通量が多く、またそのほとんどが古い日本製の車で、あまり信号機がないことに驚かされます。スピードを出しながら次々に車を追い越してゆく運転が当たり前で、対向車と衝突しそうな瞬間に、日本人であれば誰もが目をつぶるところですが、対向車も上手によけて走る。2車線の道路に、車が6台横に並ぶこともあります。(信号機が出来てから、渋滞と事故が増えたという現地の信じられない話も聞かされました。)

アスファルトがなくなり田舎道をどんどん北に進んでゆき、政府の社会福祉省役員、スニル・サマラウェーラ氏のお宅を訪ねました。今回の佛立宗としての支援について、目的と内容を説明し、やはりここでも丁重な歓迎を受けました。

  
 <街中を走るスリーウィーラー>        <スニル・サマラウェーラ氏宅で>

17:00 カルタラ地区ミランダ博士の姉(ラニ・スィルヴァ)宅お助行

ミランダさんのお姉さんのお宅は、津波の第一波が来た時に、水が家の床下まで浸水してきて、「これはおかしい。とにかく逃げた方がいい」と不審に思い、山奥の方に避難をされて助かり、方や両隣の家の方々は「これは動かない方がいい」と避難されずにとどまり、その25分後、8メートルもの大波、第二波がおしよせ、流されてしまわれたとのことでした。手放しに喜べることではありませんが、このご利益に大変随喜をされております。

お助行へ伺いますと、家の中にはたくさんのご信者さんがお待ちになっていました。福岡御導師に御伴されてきた小野山、吉川両師が手際よくご宝前の準備をされ、早速福岡御導師が日本語と英語による言上をされ、国境を越えてのお助行が始まりました。支援活動中第一回目のお助行ということもあり、一同に声を張り上げ、「被災地早期復興」と「災害横死者のご回向」の志にて、現地の方々とお看経させていただきました。それは魂を揺るがすようなお看経となり一同お助行できた喜びに浸りました。日本から持って行きました御宝前用のおふきん50枚や佛丸入りのクリアファイルをプレゼントいたしました。

  
<ラニ・スィルヴァ宅でのお助行>

  
<日本から持参した布巾、敷物の使い方を説明する>


◆ 3/6         

07:30 ゴール地区へ

ゴールという港街は、コロンボから110キロ離れた所にあり、首都のコロンボに次いで2番目に大きな都市で、今回の津波で、島の南側地域一番の被害に遭われた場所ということでした。海岸沿いを見ていると、津波に破壊された家々、瓦礫の山が延々と連なり、ヤシの木々と綺麗な浜辺には、いたるところに各国支援団体から寄付されたテントが並び、人々はそこで生活をしている様子でした。道路から直接海岸を見渡すことが出来ましたが、話によると被災前は、海岸沿いに家が密集していて直接海は見渡せなかったということで、その爪痕から被害のすさまじさを感じずにはいられませんでした。しかしながらその光景が行けども行けども変わることはありません。いつしかその悲惨な光景が当たり前のように感じてしまう錯覚にも陥り、自分への怖さも思い知るものでした。

現地の被災した川辺の町を歩き、津波よって壊れ落ちた橋や、家の柱も何もかも流され、ただ敷地を指さし、ここに私の家があったと訴えかける人々、3月に30度を超える日差しの中でテント生活を送る人々の姿に接してまいりました。その中心地となる家の前に、この地域被災者が多数集まり、一軒一軒の人々に宗門からの義捐金がお導師より手渡されました。この国の人々は仏教(小乗)を信仰する方が70%を占め、御導師から義捐金をいただかれた男性も女性も、ご老人も、また子供までもが、御導師の目の前に跪き、御導師の足の甲に自らの額をつけて合掌をして御礼をされるという、仏様ご在世当時の教えを今に伝えていました。




  
<立ち並ぶテントの中を行く>          <一軒一軒に義捐金を渡す>

10:30 福祉施設にてお助行・書籍の贈呈

続いて近くの浜辺にある、家をなくし、親を失ったりした子供たちのための福祉施設を訪ねました。この被災した子供たち100名に、昨日買った教科書を贈呈。子供達は、私たちがバスから降りた途端にこちらに駆け寄ってきて、「遊ぼう」という子供たち、海岸に連れて行き「ここが私の家。」と元気に教えてくれましたが、その場所を見てみると、家らしきものの残骸しかないところでした。青年信者たちはすっかり子供たちに溶け込んでいました。本当に深い傷を抱えていましたが、子供たちはうれしそうに笑顔を振りまき、支援しにきているはずなのに、逆に子供達の元気さに励まされた様な気がしました。

そして予定にはありませんでしたが、この浜辺に集まって来た子供たちやご近所の方々を前に、御導師より「津波で亡くなった人々への御回向をいたします」と、急遽、壁のようなものしか残ってない元々家だった所に御本尊をお掛けして、御題目を皆でお唱えさせていただきました。現地の素直で純粋な子供たちは、お看経が始まるとすぐに手をあわせ、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と一緒に唱えてくれました。


<教科書を配る>

  
<海岸縁でお助行>

  
<子供たちと走り回る>

14:30 病院にて手術室のエアコンの贈呈

ゴールの山の手にあるカラピティア病院を訪ねました。津波の被害を受けなかったこの病院は、被災直後に次々と患者が運び込まれ、カラットさんという外科医の方とお話しをいたしましたが、この方は津波後、お一人で一日20人くらいの手術をされていたそうです。カラットさんは、10年前日本に来られた事があるそうで、その時に、日本人は親切という印象を持たれ、今回の支援に対して大変感謝をされていました。この病院に今度、新しく手術室を作るということで、その手術室のエアコンと、床の瓦(タイル)、設備費として義捐金を贈呈いたしました。病院内は日本と比べると非常に薄暗く、日本ではほとんど使用されていないクレゾールと書かれた消毒液が多量に積んであり、病院特有の臭いがしていました。


<カラットさんに義捐金を手渡す>

16:00 お助行、御本尊奉安

新入信者宅の御本尊奉安、どのように奉安されるのだろう、どんなご信者さんだろうと期待して伺ったところ、この日一日中我々に同行し、被災した場所を一つ一つ案内してくださり、また事前に義捐金を寄付する家を調査(特に被害のひどい方から順に義捐金を贈呈するため)してくださったりと、あらゆる面においてコーディネートをして下さっていたサラットさんが、なんと新たに御本尊を奉安する現地新入信者さんであったことに驚いた。この方は銀行業を営まれ、この地区のご弘通を広められるリーダーである。思わず使用していたお拍子木を手渡し、一緒にリズムをとってしまった。大勢のお助行で、ご本人もとても喜んでいました。


<お礼を述べられるサラット氏>    <お数珠の持ち方を指導する清康師>   <お題目の大切さを話されるお導師>


◆ 3/7         

08:00 親会場にてお助行

HBS(本門佛立宗)スリランカ親会場へお助行に伺いました。とても大きな御宝前(お導師が日本でデザインし、現地の方が作られた)があり、大きな御本尊は三世日随上人ご染筆のものということで、特に日曜日には、大勢のスリランカのご信者さんがここにお参詣されているとのことです。

ここでは、佛立宗新聞にも掲載されたご主人を亡くされた親子ジャワルラカさんに会うことが出来ました。そのご主人はキリスト教徒でしたが、奥さんはご主人に反対されながらも佛立宗のご信心をされ、奥さんと娘さんは津波の被害には遭われなかったけれども、ご主人はその時家に残られ、家が海岸縁であったため波にさらわれてしまった。この親子のご信者、特に娘さんに対して掛ける言葉も浮かんできませんでしたが、握手をして肩を撫でてあげると、とても綺麗な瞳で笑顔を見せてくれました。複雑な心境ではありましたが、共に一生懸命御題目を口唱させていただきました。


<親会場のご宝前と福岡お導師>     <シャンタ・ペレラご夫妻>         <ジャワルラカさん親子>

10:00 ミランダ博士宅お助行

佛立新聞等で日本でも知る人の多いミランダ女史の自宅でお助行をさせていただきました。二階には御宝前のとても大きな部屋があり、法鼓もありました。以前女史は、「御題目口唱のバイブレーションは、ブッダに必ず届く」とお話されていましたが、異体同心の口唱、リズム感を大切にされ、お拍子木も日本人がビックリするほど上手に叩かれていました。またミランダさんはとてもパワフルな方で、今若い人達が宗教離れをしがちなので、今回の若い支援隊を大歓迎されて、どんどんお助行に来て欲しいと仰って下さいました。

ミランダ邸にて、津波発生から今日に至るまでと、スリランカ佛立宗のご信者さんの状況、そして日本のご信者に向けたメッセージをいただくため、福岡御導師と対談形式で、ビデオインタビューをいたしました。そこで今回の佛立宗の支援活動に対する感謝と、義捐金を下さった多くのお寺やご信者さま方へのお礼のお言葉、そして「それに応えるため、スリランカの信徒一同ご弘通発展のために一丸となって頑張ります」とお話して下さいました。妙深寺に寄せられた義捐金をお渡しする


<ミランダ邸でのお助行>

11:00 市庁舎にて義捐金贈呈

ベルワラの市庁舎を訪れ、そこでも歓迎を受け、バスから降りると花で作ったレイを一人一人にかけてくださいました。そこで以前、日本の本山宥清寺にも来られたことのあるチャンダ・ナンダ師ともお会いをし、師と市庁舎役員列席の中、義援金をお渡しし、ここではヤシの実を切ったココナッツジュースのおもてなしに、暑さと喉の渇きから一時の安らぎを得ることが出来ました。

14:00 海の見えるライト ハウス ホテルにて昼食

市庁舎を後に、遅めの昼食を近くの海岸にあるホテルでとることになりました。スリランカの海岸は、ハワイに負けず劣らずの綺麗なビーチが続き、ホテルもプールがあったりと素晴らしいリゾート地であることが分かりましたが、このホテルも津波によって一階部分が被災し、客室はボロボロで全て改装中でした。また、二階で食事をしておりましたが、そこから見えるプールとビーチの光景に「何か見たことのある景色」と一同が感じ、津波直後、観光客が撮影したホテルのプールの上を津波が襲いかかる映像を、日本でも何度か放送されていましたが、そことよく似ており「ひょっとしてここじゃない?」と口々に話しておりました。

16:30 現地青年信徒との交流会

学校の先生と学生のご信者さんが多く集まっているという地域へ向かいました。訪れたのは、学校で英語の先生をされているご信者さんのお宅に伺い、そこには教え子の生徒60人程が集まっていました。驚かされたのは、この先生が「HBS(本門佛立宗)はありがたい」と言って、学校の生徒さんをお教化されているということでした。先生の家に溢れるほど来て下さった、3〜4才位の小さな子どもから20才位まで、現地青年信徒さんたちと一緒にお看経をしました。御題目は最初は皆か細い声でお唱えしておりましたが、たまりかねた高島さんが、身を乗り出し、身振り手振りでリズムを取り、お題目を唱えると段々と御題目は大きくなってゆき、身が震えてくるようなありがたい思いに包まれました。

お看経後、青年信徒らを前に、福岡御導師がわれわれ同行者を一人ずつ紹介してくださり、夫々が義捐金をお渡しした。「今日は日本とスリランカの青年信徒の交流をおおいにいたしましょう」とお話しされ、日本から持参したお菓子を配りながら、日本の青年会員各々は、積極的に話しかけてくる現地青年信徒5人から10人ぐらいに囲まれながら、日本の折り紙を教えたり、手紙を約束してアドレス交換をしたりと、言葉と国を超えて、かけがえのない仲間意識が生まれ、最高のスキンシップ・交流を図ることが出来ました。

中でも折り紙は人気があり、また驚くべきことに、数学の好きな子がたくさんいて、勉強を楽しんでいるという印象を受けました。

時間があっという間に過ぎ、皆で写真を撮った後もアドレス交換等をして、その場を後にいたしました。

反省ですが、前もって手作りの名刺を持っていけばよかったです。


    <現地青年信徒>                <中に入らず外から見ている人も(男性ばかりです)>




◆ 3/8         

シンガポールにて乗り換え

シンガポールからは、福岡御導師の組は関西国際空港へ、私たちは成田空港へ別々の帰国となり、最後のお別れに晩餐会を開き、この度の活動の感想を一人一人お話いただきました。そしてこのメンバーの再会を約束して、またそれぞれ明日に描くご弘通の夢を胸に、シンガポールを後にしたのでした・・・・



◆ 3/9         

日本へ帰国・無事帰山。大勢のお出迎えをいただきました。ご祈願ありがとうございました。


<無事帰山した参加者一同>


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